完璧教

いつもいつもいつも!言っているのは、
「世界は完璧」
ということ。

今日はなぜいつもいつもこれを言っているか?について書こうっと。

 

この「世界は完璧説」はわたしが思いついたものではないのです。

ながらくヨガの練習やヴェーダ(簡単にいうとインド哲学)の勉強をしてきて、ずっと触れているマントラがあります。わたしのクラスでも毎度最後に唱えているもの。

 

purnamadah purnamidam purnat purnamudachyate
purnasya purnamadaya purnameva vashishyate

 

というやつ。シェーシャシャンティパダマントラ、といいます。

このマントラの意味は、
「これは完全であり、完全なこれから生まれるこれも完全であり、またその完全なものから生まれるそれも完全である」
というようなこと(超簡訳。意訳)。

 

ずっとヨガの練習やヴェーダの勉強を重ねてきて、
そこからたくさんの恩恵を受けて、身体や気持ちが楽になったり、健やかに生きるコツを体得することができるようになってから、
このマントラが言っていることも体験したみたくなったの。

すべてのおおもとであるブラフマンが完全であるなら、そこから派生しているすべてが完全であるなら、
この世界だってすべて完全なはず。完璧なはず。

だって(わたしが)信頼しているヴェーダがそう言っているんでしょう?じゃあ本当のことなんでしょう?

とはいえ、「自分で体験しない限り何事も信じない」わたしだから、
ヴェーダがいくらそう言っていても、自分が体験しない限りは信じられない。
だけれども、信じてみたい。体験してみたい。
そして「本当にそうだったよ!」というのを実証してみせたい。
本当に世界が完璧だったら、悩み事も心配もなく楽チンに人生も日々をも過ごせるもの。楽チンがいいじゃん!

だから、わたしがさきに実証してみせますから、
それを見て、「まじで世界は完璧らしい…」とその気になった人は後に続いてやってみてよ!という姿勢なだけなのです。

 

さきに身近で実証してくれる人がいたら、
あとに続く人の不安とリスクは減るでしょ?!
だから、さきにやっておきますよ。だから、あとに続いてみせてね。

という気持ちで、
「世界は完璧なんですよ」と言い続け、それを出来事として実証し続けようとしているのです。

 

だから、どこまでいってもベースはヨガとヴェーダ、なんです。
アーサナをしてもしなくても、クラスをしていてもしていなくても、ヨガとヴェーダを実践して生きてる、そう生きたい。結局好きなんだよね、ヨガだのヴェーダだの、が。

 

でもこれをひとりでやっていても説得力がうすいから、
「世界は完璧」を一緒に実証してくれる人を常に募集しています。わたしはこうしてさきにやってみて、リスクとほんとかな?の不安を少しだけ減らしておくから、あとに続いてやってみせてくれる人がいるといいな。

完璧教仲間(あやしい!笑)が増えますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です