お金という数字にとらわれなくなってきた話

ひとつ前から続きです。
時間という概念にとらわれなくなった話から先に読んでね。

 

そういうわけで、時間にとらわれることがいよいよだいぶ無くなりました。
わたしは時間から抜け出すのはわりとスムーズだったのだけれど、
その次に“お金”という課題から抜け出すのがけっこう難しくて、これはまだ練習中なう、です。

 

現代人がとらわれているものってなんだろう?と考えてみたことがあったのだけれど、その時に思いついたのが、
“時間” と “他人からの視線(人間関係)” と “お金”
でした。
これらが “3大縛られているもの” なのではないかな?
(もし他に縛られている、気になるものがある、という人がいたら教えてください。分析してみたいです)

約束や予定に間に合わなかったら大変だ!遅刻をしてはいけない!と思っていて、時間を気にしている。時間に縛られている。
あの人に嫌われたら困るな。嫌われるのは怖いなぁ。変な人だと思われるのは嫌だなぁ。怒られたら嫌だな。と考えてしまって、変な人だと思われないように、嫌われないようにする。人間関係を保とうとする。
お金が無いと将来に困る。予定している通りの人生が進まなくなっちゃうよな。と心配をしてお金に縛られている。

 

だいたいこれは、メジャーな不安ごとだよね。

 

だけど。もし本当に世界が完全で完璧であったとしたら、
ひとつ前の記事で書いたように、当初の予定時間に間に合っても間に合わなかったとしても、「そうなった」出来事が完璧なわけなのです。
だから、「いま」の感覚を受け取りながら行動した結果起きることは、時間というの概念はもちろん、
他人からどう見られたとしても、それでその人間関係がどうなったとしても、お金が入ってこようが出ていこうが、すべて正解で完璧なこと。

 

ってわかっていても、それでも、
人との距離ができてしまうことが怖かったり、
お金が減ることが怖かったり、もちろんするんだよね。

もう堂々めぐり。

 

でも、わたしは堂々めぐりななかでも、いよいよ「そうやって縛られていることの窮屈感」に嫌気がさしてしまったので、
怖いけれど、とらわれから抜け出すためのトライと練習をすることにしました。

人間関係や他人からの見られ方、はわたしにとってはわりと難しく無いハードルで、すぐにトライ&練習ができたのだけれど、
怖かったのは “お金” という項目。
やっぱりここはハードル高め。実際、いまだにこわごわトライ中です。

 

しかし、トライ&実践をしないことには変わりません。
いまこの文章を読んで「理解した気」になっても意味ないから。自分でやってみないと、絶対に自分の身にはつかないよ。

 

で、こわごわ始めたことの一環に、スタジオレギュラークラスの自由料金があります。
「こんな自由料金を打ち出して、本当にまわっていくのだろうか?」
「これまで定額でやっていたようなお金は入ってくるのかな?」
という心配が最初から全くなかったわけではありません。
でも。怖いけど、やってみた。
だって「実践」ってつまり「やるしかない」からね。

そうして、怖いけれどもやってみたら、
自由料金でもまわってゆくこと。しかも、思っていた以上に豊かに、楽しくまわってゆく。ということがわかってしまった。

これまで定額で普通にやっていたときよりも、豊かになりました。
数字的なものはさほど変わらないかもしれないけれど(変わらない、というだけですでにじゅうぶんありがたい話だけれど)、
物や金券をいただくことも増えて、しかもそれが「いま必要だったやつ!」「欲しかったやつ!」「好きなもの!」ということばかりなんです。だからやっぱり結果的に豊かにしかなっていない。

 

そんななか、最近、
「おぉ。いよいよお金のとらわれから抜け出してきたな」と我ながら実感できる出来事がありました。

 

先日、友達の個展に行ってね。
そのときに、とてもとても気に入った絵を購入したのです。

わたしにとって「絵を買う」という行為は人生で2度目。
普段からアートや絵画を買う人にはわからない感覚かもしれないけれど、わたしにとっては、
絵を買うということは「無駄な出費」的な感覚があったのです。
だって、食べ物や日用品とは異なる「生活必需品」ではないし、
趣味で買うお洋服や化粧品やCDなどのような、直接身につけられるものでも、わかりやすい感覚器官(聴覚)を満たすものでもない。
だから「無くてもまじで困らないもの」。それが絵画だと思っていました(絵を描く人やアート好きな人に対しては、まじで失礼ごめんなさい、と思ってます)。
そんな「無くてもまじで困らないもの」に数万円を費やす、って、勇気がないとできないことだったのです。

人生ではじめて絵を購入したのも、この友人の作品だったのだけれども、
このとき(前回)は、個展でその絵を見て「いいなぁ。これ好きだな」と感じたのに、その場では買えなかったの…。そして個展も終わってしばらくしてから、全く別件でこの友人とやりとりしていたとき、たまたま絵の話になってね。聞いたんですよ「あの個展のあの絵は売れちゃったかな?」って。
そうしたら「あの絵だけ誰のところにもいかなくて今も手元にあるんだよ」と言われて、そこまでのダメ押しがあってから「あぁあの絵はわたしが買うべく運命だったんだ」と納得して、購入を決めたのです。

わたしの気に入った絵が誰の手元にも渡らなかった、という、
いかにも「わたしのところに来るべきものなんだ」という裏付けというか理由ができてからようやく、「買う」を決めることができた。
逆にいうと、そういう「理由」を並べないと購入を決められないような気の小ささだったのです。
「理由」があったから買えた。それはつまり「そのときの好き!」を信じられなかった、ということ。
自分の好き!の感覚や「これ!」という感覚よりも、「お金」にとらわれていたから、購入を決められなかったのです。

 

こう書いていて思うけれど、
まじで小さい。ダサい。笑

…それが2年前のわたし。

 

ちなみに2年前のこのときなんて、こういうわけでいまよりもお金に対してビビりまくっていたから、
貯金が減ることが不安だったゆえ、我慢したり節約したりすることが多かったから、いま現在よりも「貯金の総額」は多かったです。
それなのに、総額は多いのに、ビビってたんだよね。

 

そこから2年経った最近。
おなじように個展に行って、「これ!超気に入った!!」と感じて、
「カード使える?」と聞くまであっという間でした。時間の単位としては秒だったと思う。

2年前よりも、貯金の総額は少ないし、絵の金額は高いのに、
それでも「これ!気に入った!」という自分の感覚を信じられるようになって、「買う」がすぐに決められたの。そう決められたことも、自分の「好き!」を信じられるようになったこともすごく嬉しかった。

おなじ物、おなじような状況のお買い物をする、という出来事が起きたゆえに、
自分の変化を顕著に感じられたのです。
そしてこのときに、「わたし、お金よりも自分の好き!を信じられるようになってる…!」という実感が起きたことがすごくすごく嬉しかった。

 

徐々にではあるけれど、こうして、
お金にもとらわれなくなってきました。

時間にとらわれなくなって確信したけれど、
世界は本当に完璧で、必要なだけ必要なぶんは必ず在って、だから困ることはない。心配することもない。だから「いま」に照準を合わせ続けて、「いま」を満たしていけばいいだけ、です。

お金、という項目ではそれを実感することが難しかったけれども、
だいぶ実感できるようになってきた。

 

そうしたら、これまた、超楽ちん!なの。
だって、心配や不安がまたひとつなくなってゆくから。本当に気が楽。

気が楽なまま、「いま」に合わせて完璧な世界を回してゆくから、
足りないことも困ることも起きない。という楽で豊かな循環。

 

自分の好き!に掛ける、費やすのって幸せで気持ちが良くて、豊かな気持ちになるよ。
それは、相手や物にお金を払ったかのように見えて、そういうことではないんだよ。「自分の好き!という気持ち」を信じた代、自分の感覚に賭けてあげたお金だからね、つまりは、自分に払ったということなのですね。
だから豊かな気持ちになる。
そして豊かになるから、ますます豊かに循環してゆくの。いいじゃん!

 

 

しかし、これも段階があるからね。
わたしの場合は、時間の次にお金の実践ができるようになってきたよ、というだけの話です。
そしてまだ、実践できるのは数万円という金額規模です。もっと大きい額はまだ怖くてトライできていない。
でも、段階を追って。step by stepで練習して習得してゆくよ。

 

 

 

 

 

 

❤︎記事を読んでミラクル!ハッピー!が起きたら…→豊かさの循環実験

 

 

 

 

 

 

 

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