素直が大事

数日前にzozotownの社長さんが100万円をプレゼントしますよーという企画があったじゃない?
そしてそれには当然賛否両論が巻き起こって、わたしはいろんな意見を観察していました(人間&世界観察が好き)。

 

そしてやっぱり!と気がついた&確信したことがあったのよ。

 

あのとき、いろいろな人がいて、
何も気にせず応募した人もいただろうし、
何かを気にしつつ応募した人もいただろうし、
めちゃくちゃ批判していた人もいた。批判しつつも応募する人もいただろし、批判ゆえに応募しなかった人もいたでしょう。

応募することの是非はどちらでもいい。っていうか、応募することしないことに正しさはないから、マジでここでもいいこと。みんな好きにしたらいいよ。

 

でね、批判意見のなかに、
「そういうお金の使い方はみっともない」とか「金持ちが見せつけている。性格が悪い」とか、そういう意見があってわたしの目についたの。
たしかに、その意見を言っている人にとってはそう見えたのだと思う。みっともないこと。性格が悪いように見えること。「その人がそう感じた」ことはその人にとっても事実だから、まったくそのままで良いことだけれども、
だからといって、
「そういうやり方はよくないですよ、正しなさい」と本人に正しさを押し付けることはする必要がないし、
多くの人が目や耳にするような場(SNSとか何かの集まりとか)で、「ああいうのはいけないことです。よね!?いけないことですよ」と、周囲に文句を撒き散らすことも、ここでも正しさを無理に共有することも、やる必要がありません。

内輪の家族や友人やグループ等で話題になったときに「わたしはこう思っている」という、自分の意見を表現するのはいいけどさ、
「わたしはこう思っている。それが世間や一般的な常識から見ても正しいことです。よね?!みんなもそう思うでしょう?」という、自分の中の正しさを広い範囲に押し付けることは、やっぱり周囲の人からしたら不快に感じることも多いんじゃないかな。

 

周囲に心地よくあってもらうのと、
周囲の人に不快を感じさせること、
どちらがいいかな?良い悪いという意味ではなくて、
どちらの方が「自分にとっても気分の良いこと」かな?

 

でね、様々な意見のなかには、
「金持ちが見せつけやがって!」的なものもあったけれど、
これってそのねじれた感情を紐解いていったら、根底には「お金持ちいいな。うらやましいなー」という気持ちがあるんじゃないかと思うのです。
(もちろんそれ以外の感情ゆえの発言の場合もあるけれど。可能性のひとつには「いいな」もあるでしょう)
「いいな」といううらやましさや憧れが、ねじれて、
「自分は手にしていないけれども、自分が欲しいと思っているそれを持っているあいつはいいな。ずるい」「わたしだってそれが欲しいのに。わたしは持っていないのに」
という妬みとなって、それが批判という形で表面化することは、今回の場面に限らずよくあることだと思うんです。

 

しかしここが要注意で、
せっかく「いいな」と思っているそれを、妬んだり「よくないことだ」と言っていると、
それは自分のところにはやってこないし、自分には叶わないことになってしまうんですよ。

 

だってさ、例えば、
「お金持ちいいなー」と思いつつ、
「そういうお金の使い方はよくない。お金持ちは性格が悪い。社員を厳しく働かせて勝手な使い方をするのはけしからん」と言っていたら、結局自分で「お金持ちであることはよくないことだ」と決めてしまっているから、
永遠にお金持ちになれないじゃん。
だって「よくない。ダメだ」と思っているものに、自分がなれるわけがないでしょう。

 

いつも言っているけれど、
願いは叶うし、思ったものにはなれる。思ったことはできるのよ。
それは人間に備わっている意識の創造力。だから、思ったことはできる。

となると、「ダメだ。そうなってはいけない」と思っているものには、
「ちゃんと」なれないの。そうなってはいけない、ものには、願いが叶って「なれないように」なる。
だから「批判しているそれにはなれない」んだよ。「ちゃんと」なれないようになってる。

 

本当は、心のどこかで、
「お金持ちはいいな。なりたいな」と思っているのに、そのうらやましさがねじれて、批判することで「なれないようになる」のは、バカらしくない?
だって、「なりたいものになれないように自分でしている」んだよ。バカらしいでしょ。

 

これはトピックが変わって、「お金持ち」という話題じゃなくてももちろん同じこと。
自分が「いいな」と思う物を持っている、「いいな」と思う生活をしている、「いいな」と感じる時間の使い方をしている。
そういう人を見たときに、妬みゆえに批判してしまうと自分はそうはなれないの。
「いいな」と思ったら、
素直に「いいなー!わたしもそうなりたい。わたしもそれ欲しい」
って思ってしまったほうがいい。だって、そう思ったら、そうなれるから。

 

「いいな」という憧れの気持ちが発生することは同じなのに、
その先に「素直に思う」か「妬む」かで、起きる現実、展開が変わってゆく。

だとしたら、どっちがいいかな?

 

わたしだったら、
素直にいいな!と思って、素直に「そうなりたーい!」と願って、ノートに書きます。だって、「自分が望むそれ」になってしまうのが一番幸せじゃん。
妬んだり批判してる暇なんてないわ。
そんな暇があったら「いいなーこうなろう」をひとつでも多く願ってノートに書くよ。

 

そうやって、人の世界に意見をしに行ったり人の世界を荒らしたりする時間とエネルギーがあるなら、
その時間もエネルギーも自分の世界の創り込みに使うんだよ。
「いいな」とうらやましく思ってしまう、うっかりすると妬ましく思ってしまうような、そんな姿を見せてくれる人は、自分にとっての敵じゃないよ。自分の理想や夢を具体的な形で、すでにやって見せてくれているサンプルモデルだよ。

サンプルモデルは適切に使おう。
それは「どうだ!いいだろう」と、わたしの世界をバカにしたり見下したりするために現れているんじゃない。勝手に敵意をむき出しにしないように。自分では具体的に描けなかった夢や希望を見せてくれているだけの、わたしの夢や世界をより拡げるために現れてくれた、親切なモデルなんだよ。

 

素直に思うこと、それが一番大事だ。
自分の大元にある素直な思いをねじれさせないように。

 

 

 

 

 

 

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