地味がステキに育つだけ

最近、オンラインでの呼吸法やおしゃべりの配信を始めた。
こういう、アプリのダウンロードとかアカウントを取って…とか、
そういう作業はとても苦手なんだけど、
やりたい!やろう!という動機が確実にあったから、始めました。

 

けれども、初日はわたし自身も気がつかないところで配信がきれていたり、
とっても緊張して、うまく話せないところもあった。

配信を終えた後に自分で録画を見て、
「恥ずかしい!」と思うところも、
「下手くそだな」と思うところもたくさんあった。

正直、その日は自分の下手さ具合に結構凹みました。
その一方で、「なんだか楽しかったな」と感じることもあったから、
翌日も気が向いてしまって、配信しちゃった…!

 

前日の反省点を活かしてやろう。
下手だったところはもうちょっとうまくやってみよう。
挨拶はした方が良さそう。

…そんなことを考えながら、2日目の配信。
終えた後にまた自分で録画を見て、
また反省点が出てきた。

 

「こんな口ぐせがあるんだ、わたし…」
「ここが聞きづらいな」
「この言葉はいらないな」

 

前日にわりと改善点を見つけて、
そこを改良したつもりでやったのに、
さらにまた、改善点が出てきた。

 

「改善したはずなのに、まだまだ粗が発見されてしまうなぁ…」
とまたしても凹みつつ。
その一方で「なんだか楽しかったな」とも感じている。

 

だから懲りずにまた。明日とか明後日とか?わからないけれど、
気が向いた時に配信をしてしまうと思います。

 

まだたった2日だけれど、
改善点はまだまだ本当にたくさんあるけれども、
それでも、初日よりは2日目の方が、できたことも改善されたこともたくさんある実感を感じてる。

そして、感想をメールでいただいたり、
自分でも気がついていなかった自分の気持ちに気がつくことがあったりして、
本当にやってよかった!と思ってる。

…まだまだ下手くそだけれど!

 

 

話は変わって。
今日は気に入る食堂を見つけてきた。

数日前は、気に入るお花屋さんを見つけてきた。

 

そういうことを書くと、あるいはSNS等に写り映えの良い写真とともにキャプションをつけてアップすると、
「ステキな暮らしをしている」ように見えるかもしれません。

けれども、実際のところは、自分の足で歩いて見つけことのひたすら繰り返しをしている、という地味の極み。

 

今日は本当は、点心を食べよう!と言って出かけたはずなの。
というか数日前から「おいしい点心を食べたい」と言い続けていて、
数日前のその日は、点心を扱っているはずのお店に出かけたのに、旧正月前だしディナータイムだし、で点心がメニューにありませんでした。
そのリベンジで、今日は出かけた先で点心を食べようと思っていたのに、
点心のお店は発見されず。近くの、ずっと行きたいと思っていたカフェも休業していて。
「どうしようか?」とその先の通りを曲がったところに、わりと混雑している中華ベジタリアンの定食屋が現れた。
「なんだか良さそうな感じ」がしたから入ってみたら、
とても好みの味で気に入ってしまったという話。
気に入ったから絶対にまた行く。

 

お花屋さんを見つけたときも、
「あの辺りにはお花が売っているよね…」と、いつだかにそこを通った時の景色の記憶を頼りに出かけたみたのだけれど、
そこ(露店のようなところ)で売っていたお花はなんだかイマイチで。
どうしようかな…と思っていたところに、
向かいからお花をたくさん抱えたおばさまが歩いてきた。
…ということは、おばさまが来た方にお花屋さんがあるのでは?と思って、そっちの方面に歩いたら、
100mくらい先に「こういうお店を探してましたよ!」というお花屋さんが現れた。

 

こっちはどうだろう?とか、
良さそうな感じがする!という、
勘に従って、自分の感覚を信じて、
自分の足で歩いた先でアタリを引いているだけ。
だからすごく地味。

 

そして、失敗することもたくさんある。
同じパターンで、勘に従って歩いた先で「ここおいしいかも?」と思ったお店がイマイチなこともある。
毎回必ずアタリが引けるわけではない。

そして、「予定通りに」物事が進んでいるわけでもない。
今日だって、本当は点心を食べたかったはずだもの。結果的に気に入った、その定食屋さんには、点心はもちろんなくて、焼きそばを食べましたよ。笑
そして、数日ごしの「点心食べたい」欲望はまだ叶えられていない。

 

 

オンライン配信も、
点心に代わって見つけた気にいる定食屋さんも、お花屋さんも、
共通して言えることは、

「自分でやってみたから得られるものがある」ということ。
そしてその、「自分でやってみた」という過程は本当に地味で、
失敗もして、予定通りにいかなくて、そういうときは地味に凹んで、
そして失敗点を反省して改善して、次はどうかな?を繰り返している。本当に地味。

けれども、その地味な作業の繰り返しによって、
技術や勘やセンスを身につけることができる。そして身につけた物事を披露すると、見る人からすると、
すごい!ように見えたり、ステキ!に見えたりする、というだけ。

 

たくさんトライすれば、トライしただけ身につくことが増える。
もちろんエラー(失敗)もたくさんするし、エラーしたときは凹んだり恥ずかしかったりするけれど、
その経験すら自分の財産になるうえ、トライ&成功だった場合の成功の「よくできるねー!すごい!」感がものすごいものなんだよ。自分の実感としても、見ている第三者の目にうつる自分の姿も。

だから、「やってみる」以外にやることないよね。
「うまくいかないかも」「失敗するかも」と思って、やってみないことが一番もったいない。

 

うまくいかなかったら恥ずかしい。という、くだらないエゴはとっとと捨てて、
やってみたらいいよ。たくさんのトライを仕掛けよう。

 

 

いまこうして、あまり困ることなく暮らせているけれども、
そんなわたしもたくさん失敗してる。

ついこの間は、頑張れば徒歩圏内という地点から、バスの乗り継ぎを間違えて帰って来れなくなったもの。徒歩圏内のところにいたはずなのに、結局、バスとモノレールを乗り換えして超遠回りでようやく家に着いた。
そしてまた同じバスで、乗り継ぎをミスって、行きたかったところにたどり着けない日もあった。

そんなこんなを繰り返して、いまではすっかりバスをマスター。頭に地図が入っていて、もう大体どこへでも行ける。
「街のバスを乗りこなして生活しています」なんて、その文章だけを書いたら、海外生活に慣れているように見えるだろうしローカル感が出るかもしれないけれど、
実際は、立て続けに失敗をして、からの今ここ。失敗して学んでできるようになりました、というだけ。

 

こうしてたくさんトライして、
失敗もするけれども、成功もして、
改善改善を繰り返して、
その結果たくさんのことができるようになるだけだよ。

 

だから、とにかくたくさんトライしよう。
やってみよう。
自分の足で歩いて進もう。

 

そんな地味なトライを繰り返していると、いつのまにか、
地味にやっていたことが、ステキ!に見える物事に育ってゆくんだよね。不思議。だけど、そうなの。

 

 

 

 

❤︎記事を読んで良いこと!腑に落ちた!ミラクル!ハッピー!が起きたら…→豊かさの循環実験
循環起こして魅せましょう♡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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