tomoko的新元号読み解き

ひとつ前の記事で、新元号フィーバー!おもしろかった!と騒いでいた件。
完全に、わたしの個人的な、な解釈と起きたことを書いておきます。
前置きしますけれど、完全に「わたしの勝手な読み解き」と、それに合わせて起きたこと、ですよ。
正解も不正解もありません。ただ、わたしはこんな風に楽しんじゃったよーと言う話。

ほら、考えは選べるって書いたでしょう?
そんなことを言っている張本人が、どんな思考でどうやって楽しんだのかという話です。

 

 

そもそも今朝、まだ元号なんて発表になる数時間前。

マットを敷いてヨガの練習をしていました。「こんなに本気で練習するのは久しぶり」というほど、熱が入ってしまって、しっかりしっかり練習をしていました。

そうしていたらふと、身近なある人の「呼び名」を変えたい気になりました。
「いきなりなぜ?」なんだけれど、
marichyasana–マリッチアーサナ–ねじりのポーズ をしていたら、5呼吸めくらいでねじりが深まった時に、「あ。あの人にあの呼び名は合わないな。気持ち悪っ」という感覚がきた。
だからすぐに連絡したんですよね。「いまヨガの練習をしていたら、呼び名が合わなくなったので〇〇と呼ぶのはもうやめます。今日からは新しく〇〇と呼びます」と。
いきなりそんなことを言われた相手にしてみたら、なんのこっちゃ?でしょうけれど、
さすが長年の付き合い。わたしの謎すぎる発言を受け入れてくれたうえ、わたしの呼び名も合わせて変更することになって(まじでもう、なんのこっちゃ?笑)、

「改元の前に改名が来てしまった笑」とうまく(?)まとまったの。

 

学生の時に知り合っているから、もはや人生の半分(!)の付き合いになる人なんだけど、
これまでずっと使って来た呼び名が、今朝急にリニューアルされた。
「ふと」「その呼び名がもう合わない感じがした」という、それだけの理由で。

 

そして、その数時間後に元号発表がありました。

 

そしたら、「令和」と出て来た。

 

この字を見たとき、一瞬「え?なんか違和感」という、
なんだかスッと来ない印象を受けました。

けれどもそのあとに、インスピレーションがたくさん来たのです。

 

令=れい=零=0

和=輪=◯

0◯=∞(無限)

 

!!!ということは、ゼロリセットして、その先は無限で和であるということか!

 

気になって「令」という漢字を調べて見たら、
「命令」「布告」などの意味が出て来ました。
…ということは、令和って、和をもたらすことを命じられてるということ?誰からよ?そんなの命じてくるの、神様か宇宙か大いなる存在かしかいないでしょ。

 

というわけで、いよいよ、和の時代がくるんだなぁ…とはしゃぎ始めたのです。この考えにたどり着いたら、まじでまじで楽しくなってしまった。(こういう「楽しい」という感覚は、「その方向で合ってますよ」というサインとしてわたしは受け取っています)

どうやって和の時代/世界が来るのかというと、
一旦ゼロにリセットするとその先に、無限の和が来るの。

(言っておきますけれど、これ完全にわたしの「勝手な」解釈ですからね。当たってもいないし外れてもないですよ。わたしの頭の中ではこう解釈した、ってだけですよ)

 

で、思い出したのよ。

 

この数時間前になぜだか急に、「呼び名をリセットする事件」が起きたじゃん!
長年の、っていうか人生の半分もの付き合いの人の呼び名を、いま急にリセットするという事件が。

 

うわー出た!

ゼロにリセットするとその先に、無限の和が来るって話じゃないか。
すでにさっきゼロリセット事件が起きてるじゃないか。

ねじりのポーズをしていたら「ふと」降ってきた、わたしのあの感覚は的中してたんじゃん!
改名は「する方向」で間違っていなかったんだ!!

ちなみに今朝、また別の友人と「やっぱり誰かにばかり負担がかかったり搾取が起きる世界はもう嫌だよね。和やかな世界に暮らしたいね。そのためにはやっぱりどこまでも、正直に生きてゆくのがいいね」という話もしていたところなの。
そしたら、こんな展開が起きた。

ちなみに、ここに出て来る友人2人はどちらも学生の時からの付き合いで、この2人も友人同士。

だからこうやって、こういうメンバーたちと和の世界を創って生きてゆくんだなーとつくづく腑に落ちた。そして、すでにそんな仲間に出会っている自分のこれまでの人生がとてもうれしくなったし、
同時に、こんな人たちがいればまぁ何があっても大抵のことは大丈夫でしょうね、と安心感すら生まれたの。

 

自分の感覚をこれまで以上に信じられるようになった。
まわりにいる仲間たちのことを信じられるうえ、安心感まで感じられる。
そして、和な世界が来るし、それを創ってゆけるとしか思えない。

 

あの元号の発表で、こんなことを考えて、
これだけの感覚を受け取りました。

 

 

しかし、最初に令和の文字を見た時、
「え?違和感…」と感じたんだよね。

あれはね、これまでの既存の人間の感覚や価値観が及ばないような新時代(それはもちろん「和」である)が来る、ということなんじゃないかと思うのです。
「これまで通りの感覚」では一瞬「違和感」を感じるほどの、和の世界が来る。

そんな慣れないものに対する違和感だったように思います。

 

っていうか、長年の付き合いの呼び名を変えた、その新しい呼び名も違和感あるもん。笑
ただその違和感というのは、古い呼び名を「なんか違うな…合わないな」と感じる違和感とは違って、
新しいこと、まだ慣れないことに対する違和感なの。悪い意味、悪い感じでの違和感ではない。

令和の文字を最初に見た時の違和感も、この後者の違和感な感覚です。「新しすぎて斬新すぎて慣れない」という違和感。だから悪い感じのそれではない。

 

 

そういうわけで、ものすごく清々しい新時代の始まりを感じています。

一旦ゼロにリセットするような出来事は起きるでしょうけれど、
その出来事がどのようなものであったとしても、
それはすべて世界が良くなるために、和の世界に移行するために起きるだけのこと。
向かっている先は、これまでの概念では想像もできないほどの「和」の世界。

 

わたし個人ではすでにそんな時代を共にする仲間が揃っていて、
謎に見える自分の感覚は当たっているよ、信頼しきって良いものだよ、ということも、念を押された、保証された感があります。

 

 

そんなこんなで盛り上がりすぎて、この話に出て来る友人たちとこの話をしていたら、
あっという間に時間が経っている…という本日の元号フィーバー。

 

 

 

みんなはどう感じたかな?
自分の考えは自分で選べることです。

そうして考えたとおりの世界が展開してゆく、創ってゆけるのです。

 

 

わたしには完全なる新時代、和の時代と世界がやってきました。
いよいよこの時代が来たわ!

 

 

 

 

 

 

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