背景がどんなに変わろうとも

昨日はウエサクというお釈迦様(仏陀)のお祭りの日だったから、
お寺に遊びに行ってきた。
仏教寺院だったらお祭りやお詣りをしているだろうなと思って。

そうしたら案の定、というか思っていた以上に盛大なそれが開催されていて、
すっかり楽しんできました。

 

参道(というかお寺までの道)では露店が出ていて、
お詣りをする場所があって、
キャンドルやお花を捧げるところがあって、
一角ではチャリティの献血も受け付けていて。

 

わたしは、
お詣りをして、お寺が配給してくださるランチをいただいて、
キャンドルのドネーションをして、
のんびり座って良いスペースですこし瞑想をしたりノートを書いたりして、
気が済んだら帰路についた。

ものすごく日常の「わたしにとってはよくある」一日。
ここまで読んだだけでは、
「これは日本のお寺の話かな?それともインド?マレーシア?どこの国での話?」がわからないでしょう?

それほど「tomokoの日常っぽい」過ごし方。

 

わたしはこうやって、お祭りや行事(特に寺社仏閣に関わる)で遊ぶことがとても好きなんです。

 

節目や特別な日には、気に入っている神社へ遊びに行く。
箱根神社と九頭龍神社はここ数年、最も足を運んだところ。「行きたい」と思ったら、気軽に車で行って、境内で気が済むまでぼんやりして、帰ってくる。

ガネーシャ神のお誕生日のような、インドの神様の特別な祝日には、プージャ(お祈りの会)に参加してる。
(東京にも小さいながらインド寺院というものはあって、そこで度々プージャは開催されています)。インド式のプージャへ参加すると、プラサーダという「神様からのお食事をみんなでいただく会」までがワンセットになっているから、そこでお食事もありがたく頂戴してしまうことももう慣れっ子。

 

お詣り、お祈りに参加。
そこでリラックスして気が済むまでのんびりする。
お食事が出る場合はありがたくいただく。

基本的にこの遊び方をよくしている。
(よく考えたら、深川の夏のお祭りもわりとこの形式じゃないか!笑)

 

その「お祈りの仕方」や「ドレスコード」や「細かい作法」や「厳粛なのかわっしょいなのか」は異なるけれど、
日本でもインドでも、仏教でも神道でもヒンドゥー教でも、おおまかな流れは大体同じです。

 

とにかくこの「お祈りお詣り系の遊び」というものが、とても好き。

わたしはこの「これが好き」の核の部分が確固としています。

だから、
背景がどこであったとしても、変わらずに「わたしのいつもどおりのよくある一日」を過ごすことができる。

 

どこにいても、「わたしはわたし」。これが変わらないから、
どこで過ごしていても不安になることや困ることが本当にないのです。

日本にいても、インドにいても、マレーシアにいても、
本当に何も変わらない。

 

この遊び以外のこともそう。日常の日々だって同じこと。

だいたいいつも、ヨガをして呼吸法をやって、ブログやオンライン配信など何かしらの発信をして、
事務作業をして、
ごはんを作ったり、家のことをやって、
ノートを書いたり、空を眺めたりしています。そしてそんな日々が好き。

例えば、普段お野菜はスーパーではなく八百屋さんで直接買います。お店の人と会話して買い物をすることが好きなんです。
東京にいるときは贔屓の八百屋さんが現れるファーマーズマーケットにお買い物に行くし、
インドだったら近くにいる「野菜を売っているおじさん」のところで見繕うし、
マレーシアに居たら、馴染みのマーケットへ行く。
これもどこに居ても変わらない。

 

 

「わたしはわたし」
「これが好き」
「これが快適である」
という「わたしと一緒に過ごすわたしの時間の使い方」というものが確固としていたら、
背景がどんなに変わろうとも、困ることも焦ることもなく「どこでもいつもどおりに変わらずに」過ごすことができるのです。

 

それがいつも外側ばかりに目を向けて、
「わたしと一緒に過ごすわたしの時間」ではなくて、
「このグループで過ごす」とか「このお友達と過ごす」とか、
「流行っているもの、みんなが良いと言っているものを買う」なんてことをしていると、
「背景に自分を合わせる」癖がついてしまうから、
背景が変ったときに、背景の変化に翻弄されて疲弊してしまうのです。

 

 

ついつい「背景に自分を合わせてゆく」努力をしがちだけれども、
それは無駄な努力だよ。

 

「頑張って外側に合わせるための努力をする」のではなくて、
「わたしはわたし」を確固たるものとしてゆく努力をするんだよ。

外側のことをよく知る努力をするのではなくて、
内側のことをよく知る努力をし続けるの。

 

そうしたら背景がどうであろうと、どう変わろうと、どこでも変わらずに健やかに生きてゆけるから。
どうせ力を使うなら、正しい努力をしよう。

 

 

 

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