あるグルジの言葉

先日ウエサクのお祭りでお寺に行った際に、
ふと出会ったグルジ(ヒンドゥー教僧侶)がいます。

サドゥー(ヒンドゥー教の出家行者)やグルジ(僧侶)には、
明らかなる偽物も、人智を超えたことをやってみせる本物もいるけれど、
このときに出会ったグルジは、偽物とも本物とも言えないけれど、熱心に修練を積んでいるんだろうなという印象を受けるまだ若い人でした。

本物か偽物か、その真偽なんて実はどうでも良いことで、
「目の前の人からわたし(自分)はどのような印象を受けるのか」という、「自分にとってどういう人であるか」が重要で、最も信頼できる情報です。

 

…話が逸れた!

 

このグルジがヒーリングをしてくださる、という。もちろん無料。
そうなるとますます本物か偽物か、にこだわる人がいると思うけれど、
それはこれまたどうでも良いことで、「受けてみてどう感じるか」を自分の感度で判断するしかありません。

その前にまず、
「それに興味があるか、ないか」を自分の中で判断して、
興味がある場合、「それを受けるかどうか」を金額や状況をあわせて総合評価して、
「自分はそれを受けるかどうか」を決めて、
受けた後では「それをどう感じたか」を自分の感度で判断するのです。それだけ。

そうしていたら、相手が本物か偽物か、なんてどうでもよくなります。

 

…また話が逸れたよ!笑

 

で、わたしは興味があったし無料だし、とにかく(怪しくて)面白そうという一心でこのヒーリングを受けてみました。

まず最初にシヴァリンガを模った水晶をわたしの頭頂にかざして、
そこから心身全体の状態を読み取る、という。…怪しい!ウケる!そういうのだいすきだ!笑

 

そして、「わたしの読み取り」を終えたグルジは、
身体についてのアドバイスもいくつかくれたのだけれど、
最後にこんなことを語り始めました。





自分とは合わない、あるいは自分にとって不快と感じる、自分のことを攻撃してくるように感じる相手や人間がいる場合に。

相手や他人のここを直して欲しい、と思ったり、
こんなことをしてほしくない、ここを改善してくれ、と要求したり、
「もっとこうした方がこの人は良くなるのに」と考えることがたくさんあるでしょう。

しかし、あなたがもう知っているとおり、自分以外の相手や他人を変えてあげることはできないものです。
でも、合わない人がいる、不快に感じる相手がいる、攻撃してくる人がいる、から困ってしまうんだよね。

その場合は、
「この人のこういうところが嫌だ」という「嫌に感じる部分」を見つけて、
それと同じ部分や要素が自分のなかにないかどうか、自分を確認しなさい。
そして、全く同じでなくとも、「似たような」部分があったり、わずかでも同じような部分があったら、
自分の中のその部分を改善するといいですよ。相手をいじろうとするのではなく、自分の内をいじりなさい。

それがどんなに小さなことでも、どんなに少ししか改善できなくてもOKです。じゅうぶんです。
「わたしは自分のここを改善した(すこしでも。すこしだけれども)」という、「できたこと」に目を向けて。

そうしていると、なぜか、
「合わないと思っていた相手が変わっていたり、不快なことがなくなっていたり、相手が自分を攻撃するようなことが無くなっている」
という状況が起きますよ。

 

相手の中にある嫌な部分が、自分のなかにないかどうかを探す。
もし自分のなかにその部分を見つけたら、改善するようにつとめる。
そして自分の内の改善できたことに目を向ける。できたことは小さくてもわずかでもOK。
そしてもうそれまででじゅうぶん。あとは他にやることないよ。

 

 

…とのこと。

 

ちょうど、他人からの攻撃に傷ついていた感じがしていたわたしにとっては、
気が楽になる、処方箋のようなお話でした。

グルジすごいなーありがたや!と思いました。ものすごく良いタイミングで、ピンポイントに心に刺さる話をしてくださるあたりがすごい。このグルジが本物か偽物かはわからないけれど。

 

そしてわたしもそんな、人が必要としている言葉をナイスタイミングで届けられる人で在りたいなぁ!と思いました。わたしも、本物か偽物かわからないけどね。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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