自分の波にのる

ここしばらくはこれまで以上に、
自分の観察をしています。

そうするなかでわかったこと。

 

人間には波がある。

 

身体の波と心の波。
この2つは常に動き続けていて、一方でアートマや意識には波のような動きは無いみたい(tomoko調べ)。
しかし、アートマや意識という本来それ自身は動きのないものも、
身体や心という波のあるもののその動きの影響をどうも受けてしまうのが人間の特徴みたい。

そこを、
「身体や心の波の影響を受けずに、アートマや意識そのものの状態(つまり動かない、波の影響を受けない状態)で在ろう」という理想がヨーガスートラに書いてある、
「心の作用を死滅することがYOGAである」
という、あの誤解を招きまくっているセンテンスになっているのではないかな?

これは、心を殺せ!感情を無きものにしろ!ということではなくて、
波があって動き続けている身体や心の影響を受けない、アートマや意識の状態で在りなさいということがYOGAですよ。ということ言いたかったのではないかな、と思います。

 

 

しかし、常にその不動のアートマや意識の状態で在ること、は難しい。
だからこそ、修練の方法としてヨガの実践があるのだけれど、
それを習得しきるまで穏やかな日常生活にこないとしたら、それはすごく気の遠い話じゃない?

 

ではどうしたら良いかというと、
不動のアートマや意識の状態で在れるための修練を続けながらも、
動き続けている、身体や心を上手に乗りこなす事もしたら良いと思うのです。

不動の状態を目指しつつも、
いま、動いている身体や心も乗りこなしていく。
両方向から自分を攻略してゆく。

 

身体や心に動く波の状態というのは、人それぞれある。
ペースも来る波の大きさも、人それぞれ。

それを「こんなに気分が上下してはいけない。不動を目指さなくちゃ」とか「このような身体(体調)の波があると不便だ。無くさなければ」としてしまうと、
いまそこに在る、自分の身体や心を自分で否定することになってしまう。自分で自分を否定して、無きことにしようとするから、いつまでたっても、自分との統合(YOGA)が起きない。
そうなるとますます遠回りじゃないか。

 

だからこそやっぱり、
動いている身体も心も、「そういうものだ」「動くものだ」として正面から捉えて、
動くものが在るんだから、その乗りこなし方を知ってったらいい。というか、それしかやれることがない。

波のペースや大きさは個人差があるものだから、
自分の波は自分で知るしかない。誰も教えてくれないよ。
だから、自分で自分のことをよく感じて観察して、それにあわせたペースで動くこと。それ以外にやれることがありません。
なのに、
社会のペース、家族のペース、まわりの基準、にあわせて動こうとするから、
苦しくなってしまったり、いつまでも自分のペースがつかめないでいる=自分のことがわからない、となるのです。

 

 

ずっと自分のことを観察していたら、
身体が優れないとき、心が優れないとき、というものが見えてくる。
身体の不調に引っ張られて心も一緒に不調に感じる時もあるし、
気持ちは元気だけれども身体がついてこないなぁ、という時もあるし、
身体は元気なのに気持ちが追いつかない事もある。

で、
ながらくの観察と実験の結果わたしは、
これらのときは基本的に温存することにしています。
もちろん、どうしてもやらなければならない仕事や家のことは、自分の様子を見ながらやるよ。

しかし、大切な告知や大切な仕事や大切な決断は、
身体も心も両方の波が上向きで合う時に「よしきた!いま!」という感じでするようにしている。
まさしく、まるでサーフィンのよう。(サーフィン、やったことないけどね笑)

そんなに大きなエネルギーを乗せなくても片付けられそうな家事などは、身体と心の小波の様子を見ながら、
小さな波の中でちょっと良さそうな時にやっちゃう。小さな用事は小さな波のときでもスムーズに運べるから。

けれども大切な用事は、大きな波が来たときのドーン!とやったほうが、
ビッグウェーブに乗せて簡単に運べるじゃないですか。そしてどう見ても、そっちの方が良いもの。
簡単にうまく運んだ方がいい。

 

ただ、波が来ていないとき、あるいは波が引いてるときに、
「よいしょ!」と動き出そうとしても、そもそも波が引いているからうまく前進するわけがないよね。
で、この「波が引いている」という状態というのが、
身体が優れない、心が優れない、というそれらの「感覚」として示されているんだよ。
だから、身体にも心にも波があるの。

 

 

毎日同じように同じペースで、同じルーティーンをする必要なんてない。
というかむしろ、この波の理論がわかったら、
同じペースで同じルーティーンをすることなんて不可能だとわかるはず。無理だよ。だって波があるもの。
波があるのに、毎日毎瞬同じペースで何かを押し出すことなんてできるわけないじゃない。
いや、できるかもしれないけれど、無駄な力が必要にはなるよね。波が引いているときにも力で前進させようとする、無駄な力が。

そんなエネルギーの無駄遣いをするよりも、
波をよく見て、波が来たときにドーン!と物事を押し出したらいい。その方がエネルギーのエコ。

 

その波というのは、一日の中でも変動があるもの。

 

例えば今日のわたしは、朝から本当に低迷していて、
身体も優れない、心も優れない、だったのだけれど、
昼過ぎくらいからは心の方は回復して来た。けれどもその時点では、身体の方がまだついて来ていませんでした。だからその時間は、心の方の修練をしていたの。心の活動というか心を育てるというか(それの具体的なことは次の記事にしようと思うよ)。
そんなこんなをしていたら、その数時間後にだんだん体も回復して来て、「よし、心身ともに波きた!」という感覚が来たから、
いまこれを書いています。

こういう「波きた!」の感触があるときに文章を書き始めると、この記事だと大体20分くらいで書き上がる。
何を書こうか、アイディア0の状態から、書き終わりまで20分。

なかなかの効率の良さじゃない?ここまで2400字ほどを20分で書けるって手前味噌ながら、なかなかの速さだと思います。
これが、波が来ていないのに「書かなくちゃ」という思考や予定に合わせて書こうとしたら、
もっともっと時間と労力がかかります。

 

 

だから。
自分のペースを知りましょう。自分の波を知りましょう。波に乗って簡単にうまく事を運んでしまおう。
そのためには、自分をよく観察すること。
自分のことをよく知ること。
それが難しい!という何千年も前からある人間の困り事のために、自分を知るための具体的な実践方法として、ヨガの練習があるんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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