いま、香港のデモの件から目が離せない。
なにかが起きるとわたしは、できる限り現場の状況をそのまま目撃したいと思うから、
いまはライブ配信を探して見て、なるべく現地の人の声と各国の報道をネット上で探しています。
現場に行ける距離だったら、見に行けばいいけれど、
さすがに香港にすぐには飛べないから。できる限り「現地のリアル」を拾いたくてネットサーフしています。
本題とは話がそれるけれど、
いまはこうしてインターネットが世界に広がっているわけだから、
世界中から情報が拾える準備は、すでに全ての人の手元あります。そこから、「どの情報を拾うか」で個人差が大きく生まれる時代になりました。
各国の報道を見るようになると、
日本でされている報道がいかに、「日本のフィルター」がかかっているものかよくわかります。はっきり言って、テレビから流れる情報はものすごく「日本フィルター」がかかっているものと感じます。
同じニュースを、英語の海外ニュースで見るのと、日本のテレビニュースで見るのだと、
解釈がまるで違うなんてことも多々ある。普段からテレビを見ることはほぼなく、ニュースはネットで探しているわたしからしたら、「何言ってんの?」と思うことすらあります。
ですので、せめて日本語以外のもう1言語でニュースを拾えるようになったらいいよ。(多くの人にとっては英語が一番手近だと思うけれど)。そうしたら、一つのニュースでももっと広い解釈や、起きていることの本質が見えるようになります。
…話が逸れた!
今回の香港デモの件。
わたしには香港人の友人がいます。彼女はいま仕事の都合で中国本土に滞在しているから、デモに参加したり個人が特定されるような行動はできないと言っているけれど、そう言いつつもものすごくひっそりと、「現在の香港」の写真をSNSにアップしてくれていました。
そして、個人的な連絡をしたら自らの身に起きたことも聞かせてくれた。
こういうことがあるたびに、
「とにかくはやく平和になってくれ」
「心苦しいことがはやく終わりますように」
「誰しもが安心して暮らせる環境になってくれ」
と、心から強く思います。
大切な友達のいる土地で、戦争や争いや人を傷つけるようなことをされると困るんだよ!
そんなの嫌なの!まじでやめて!
というわけです。
この友人がいる以外にも、香港はわたしもとても好きな街。
以前旅行に行った時、安宿に泊まりながらも、毎朝通っていた気に入っている粥屋さんがあって、
夜はそのさらに先のお店で食べたシャコがめちゃくちゃ美味しくてまた絶対来よう!と思っていたの。
そういうわたしの大切な場所と大切な人が害されることは本当に困るんですよ。
すこし前に特に緊張状態だったインドとパキスタンの問題もそう。
インドにはとても大切な人たちがたくさんいて、
パキスタン寄りのパンジャーブ州には、わたしのことを娘だと思ってくれているお父さんがいて、
パンジャーブの学校では授業をしたこともあるから、あの時会った生徒さんたちもいる。
そんなところで人が傷つくような争いが起きたらまじで困るんです。本当にやめてほしい。
この前火事のあったノートルダム寺院だってそう。
ガーゴイル越しに見下ろすパリの街がとても好きで、もう一回は来よう!と思っていたの。だから、無くなってしまったら困るんです(ノートルダムは修復されるけどね)。
こうやって、
大切な人や大切な場所やだいすきな場所が世界中にあればあるほど、
「そこを守りたい」
「その場所が平和であってほしい」
と心底思うようになる。
大切にしたい人や場所が世界に散らばれば散らばるほど、
そこの平和を願うようになるでしょう?
だからね、
世界の平和のために個人でできる一番の実践的なことは、
たくさんの土地に旅に出る、世界中にたくさんの友人を作る。
だと思うのです。
そうしたら、大切な土地や大切な人がいる場所は大切にしようとするし、
万が一なにかが起きたとしても、遠隔から助ける、支援することもできる。
そういう、一個人、一市民どうしの繋がりを育んでおくことが、
世界の平和の第一歩なんです。
大切な友人を相手に戦争したい!なんて思わないものね。
書いていて思い出したけれど、
数年前にネパールで大地震があった時、日本で必要な物資を集めた友人が、現地の友人にその荷物届けに行ってくれたことがあった。
もはや個人レベルでのハンドキャリー。だから運べる量は限られるけれど、受け取った先方の家族とご近所さんはみんなすごく助かった!と言ってくれた。
一個人どうしのつながりがあるだけで、こんなことも起きる。こんな支援もできる。
もし万が一なにかがあった時に、国外からも助けてくれる人がいる!なんて思えたら心強いよね。
そうやって、世界に安心と平和が増えてゆくと思うのです。
だから、
たくさん旅に出よう。世界中にたくさん友人を作ろう。
それが個人でできる一番の平和活動だと信じています。
すべての場所で、その人がその人自身そのもので暮らすことのできる世界が展開しますように(祈)