通じる言葉

言葉の話。

これは、日本語や英語といったような語学としての言葉の話ではなくて。
おなじ言語を話しているのに、話が通じない噛み合わない人がいるのはなぜだろう?を考えた、という話です。

 

というのも、
あまりにも話が噛み合わない人と話すストレスが大きくて、それに耐えられなくなって、
「なんでこうなるかな?」を考えていたら気づいたことがあったの。

 

言葉、というのは、その人の内側を表現するツールです。
もしも人間がテレパシーを使うことができたら、
言葉というツールがなくても、頭の中で考えていることや感情という心の動きを伝え合うことができるけれど、
残念ながらテレパシーを使える人は少ない(いない、とは言い切りませんけれども)から、
コミュニケーションをとる方法として言葉があります。

 

そう、言葉は単なる方法。

だから、それぞれの人間の「内側」が共通していなければ、いくら共通のツールを使っていても通じないんですよね。
外側がおなじ、柏の葉を巻いた柏餅でも、中身がつぶあんと味噌あんだったら混ざらない、ような。
(なぜ急に柏餅…。それはわたしが今ふと食べたくなってしまったから笑)

 

 

さっそく結論が出てしまったけれど、もう少し詳しく説明すると。

 

例えば、わたしの友人で日本語が堪能なインド人がいます。
彼は本当に堪能だから、わたしがどいつも通りの速さや崩した言葉(日本語)で会話をしても、不自由なく会話ができます。語学力で言ったらネイティブレベル。

しかし彼はインド人。だから「内側」の文化がインドなんですよね。
外側のツールは共通しているけれど、内側の文化が違う。

わたしが当たり前に、「朝ごはんどうする?」と聞くと、
「え?朝ごはん食べるの?」と答えが返ってくる。
そう、文化の違いによって、
朝はごはんを食べることが当たり前の人、と、
朝はごはんを食べないことが当たり前の人、の2種類がいるんです。

当たり前の前提が違うから、
「朝ごはんどうする?」という言葉は理解できても、
その意図が理解し合えないということです。

 

これが、
外側のツールとしての言語、が共通していても、
内側が共有できていないと理解はし合えないということ。

 

この例のように、わかりやすく、
インド人と日本人というような人種や民族の違いがあると、
「あぁ。違う国の人だからね」
と、違いを受け入れることが簡単なのだけれど、
もしこれが、おなじ国、おなじ人種、おなじ民族、でもってさらに、おなじ言語を使う人、となると、
違いを受け入れられなかったり、そもそも「違う」ということを失念して、
「当たり前に通じるもの。通じないわけがないもの」と思い込んで話をしてしまうから、
話が通じなかった時や噛み合わなかった時に、双方がストレスを感じるのでしょう。

 

そうです、つまり内側の文化というのは、
人種や民族や国による「違い」だけではないのです。

人種や民族や国による違いはもちろん存在するけれど、
それだけでなく、「それぞれの人間の内側の質の違い」というものがあります。

内側の質、といっても、その質には色々な観点があります。
情熱的な質の人とクールな質の人のように、「情熱度」という観点もあるし、
せっかちな質の人とのんびりタイプな質の人のように、「スピード感」という観点もあります。

 

そのような様々な観点の中で、
話が通じるかどうか、おなじ言語を使っているけれども本当に言葉(の意図)が通じているかどうかに関わる重要な観点は、「本気度」なんじゃないかと気づきました。
「本気度」というのは、「正直度」ともほぼイコールだと思いますけれども。

 

言葉にのせる「本気レベル」がおなじか異なるか、によって、
話がとてもよく通じる場合も全然通じない場合も生まれます。

話が通じない、噛み合わない、のストレスやトラブルのほとんどって、これなんじゃないかな。

 

例えば、なにかのイベントに誘う人と誘われた人がいるとしましょう。

誘った側のAさんは本気度(正直度)が100%のタイプだったとします。
誘われた側のBさんは本気度(正直度)が30%のタイプだったとします。

A「今度こういうイベントあるよ。行かない?」
B「楽しそう!いいねー!行きたいね!」

という会話をしたとして。
Aさん(100%本気)にしてみたら、「オッケーじゃあこれは行くのね(100%)」と当たり前に思うわけですけれども、
Bさん(30%本気)にしてみたら、当たり前に「30%行きたいけど、70%は行かないかも」なわけです。
そこに両者、悪気はない。
Aさんは強要しているわけではないし、
Bさんは騙してやろうというつもりはない。

ただ、「当たり前に」言葉で表現している本気度が違うだけなんです。
だけどお互いに「自分の感覚が当たり前」「みんなこの感覚で発言している」と思ってしまうから、

そのイベント前日にAさん(当たり前に100%行くものだと思っている)が、Bさん(当たり前に70%は行かないつもりだった)に「明日どうする?」と聞くと、
「え?本当に行くの?(どうしようかな)」(Bさん)という人と、
「え?行きたいって言ったじゃん!(今更行かないとか言わないよね?)」(Aさん)という人が出現して、
モメるわけです。

「気軽な話をしただけのつもりだったのに。本気すぎて怖い」と感じる人と、
「あの人はいつも適当な返事しかしないよね」と感じる人。お互いにストレスを感じます。

 

 

だいたいこれでしょ。

 

 

本気度100%の人は、これから先の予定について決まっていない場合は「わからない」と言います。
だってわからないもの。100%決まっていることがない限り、それは「わからない」と言う。
一方で本気度30%の人は、これから先の予定について決まっていない場合でも「こんな感じかな?」というざっくりとしたイメージがあれば「こんな感じかもしれません」と言う。しかし本気度30%の人が言う「こんな感じかも」の「こんな感じ」は30%くらいのイメージね。
本気度100%の人が「こんな感じかも」と言う時は、「こんな感じかも」がほぼ100%なんです。かも、の部分に2%くらいの「違うかも」が含まれている、だけ。だからほぼ100%(正確には98%だから。ほぼ100)。

このように「こんな感じ」の完成度も違うんです。

本気度30%の人からしてみたら、「そこまで完成しているんだったらもっとはっきり言ってよ」と思うだろうし、
本気度100%の人からしてみたら、「そこまでまだわからないんだったら、わからないって言ってよ」なんです。

 

こんな二人が、「わからないなぁ」「こんな感じかな」と言う会話をしていても、
見えているこれから先の予定のはっきり度が全然違うわけですよ。

そりゃあ、噛み合わないよね。

 

本気度100%の人は「絶対にそうする」という100%の決定が自分の中でできるまではっきりした発言をしないから、本気度30%の人にとっては「はっきり言ってもらえなくて不安」という気持ちになる(70%ごまかしでもいいからとりあえず何か聞きたい)場合もあるだろうし、

本気度30%の人が「じゃあそうしようね」と言ったことをその通りに行動しなかったら、本気度100%の人にとっては「この間言ったことはウソだったの?信頼できないな」と思う場合もあるでしょう。

 

噛み合っていない。

 

こうして、お互いに安心したり信頼したりできなくなってしまって、
関係がうまくいかなくなるんだよね。

 

人間関係あるある。そのロジックが説明できた。

 

これは、
どちらが良い、悪い、と言う話ではありません。

 

ただ、本気度(正直度)の違いによって、こうも発言の意味合いが違うんだよ。ということ。

ここを理解せずに「相手は当たり前に自分と同じ本気度で話している」と思い込んでしまうと、
安心できない(あの人怖い)、信頼できない(言うこととやることが違う。ウソつき)、という気持ちが双方に生まれてしまうのです。

 

これを解決してお互いに気持ちの良い人間関係を作ってゆくためには、
「自分は本気度がどれくらいのタイプで、相手は本気度がどれくらいのタイプか」を考慮したうえで会話をするしかありません。
そうなると必然的に、一緒にいてこことが良いのは「自分と同じ本気度の人」と言うことになるでしょう。だって、本気度が同じタイプであれば、相手の本気度を考慮しなくてもいいのだもの。
「当たり前の前提」が共通している方が、そりゃ話は早いですよ。

 

 

そう考えると、本気度の高い人たちは本気度の高い人たち同士で集まってゆくんですよね。だって話が早いもの。
「やりたい」と言ったことを本気でやってしまう人のまわりには、本気でやってしまう人が集まってくる。
よく言う、経営者のまわりには経営者が集まったり、仕事ができる人同士が集ってゆくのはこの原理なんじゃないかと思います。で、「言ったことをやる人たち」が集団していくから、そのメンバー同士切磋琢磨しあってますます「やる人たち」になってゆくんですよね。
お互いに向上してゆく、のはこのロジック。

本気度30%の人たちには本気度30%の人たちが集まってゆきます。だってそっちの方が居心地がいいもの。
「いいね。やりたいね」と言うのも本気度30%で話し合っているから、なかなか「本当にやる」に至りません。計画ばかりは立てるけれども、なかなか本当に行くことにはならない女子旅の企画とかは、まさしくこれです。行くことにならない、のが悪いのではなくて、この場合「いいね。やりたいね」という会話をして、その会話や企画をする時間に中に楽しみがあるのです。

 

 

そもそも、目的と楽しみが違うんですね。
そりゃあ話も通じないわ。

 

 

このように「この人とは話が噛み合わないな。通じないな」と感じることがあったら、
自分と相手の、言葉に乗せている本気度を観察してみてください。

言語ではなくて、この「本気度」という人間の質が大きく影響していることに気がつくことでしょう。

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です