今この瞬間〜歯みがき編

be present–「今ここ」にあること

 

今ここにがすべてであって、すべてがある。
これはヨガをしていても、各種哲学(インドでも仏教でも)でも説かれていること。
複数の思想や聖典にそう説かれているのだから、真実なんだろう。と思う。

 

しかし、人間の思考は「今ここ」にとどまっていることが難しい。
過去のことを喜んで思い出したり悔いたり、
未来のことを心配したり期待したり予定したり。
過去や未来という時間には、数ヶ月先数年先という、だいぶ昔やだいぶ先までが含まれているけれど、
数分前や数秒前、数秒先という、ものすごく細かい時間も含まれます。

その、数分数秒という細かい時間まで含めて、
わずかな過去にも、わずかな未来にも、思考をとばさないでいることが、
be present–「今にある」ということ。

 

 

歯みがきをしました。
そして口をゆすいでうがいをして、その直後にコーヒーを飲もうとしたら、
「たったいま歯磨きしてたのに、コーヒー飲むの?」と驚かれて、
逆にわたしは驚いたよ。

 

「そうか。歯を磨いたら、キレイにした歯をしばらく保っておくべき、
あるいは、しばらくキレイを保っておかないともったいない、
あるいは、歯磨きの後は飲食をしない、
という思考が世の中の一般的な思考の常識なのか」と。

 

わたしは、歯を磨きたいなーという衝動(気分)がきたから、歯磨きをしただけ。
そのときはキレイにしてスッキリしたかったんだよね。そのスッキリ感を味わいたかった。
そしてうがいをしたら、コーヒーを飲みたくなったから飲んだだけ。

その瞬間に起きる衝動(気持ち)に従っているだけだから、
せっかくキレイにした後に飲食をしたら、
キレイにしたことがもったいないとか、意味がないとか、
そこに重きをおいていません。

 

もったいないことも意味がないこともあるわけがないよ。

あるとしたら、
せっかく自分の内側から、衝動や気持ちという形で「次にやったらいい行動のサイン」がきているのに、
それに気づかぬままにしたり、気づいても無視することの方が、よっぽどもったいないですよ。

 

自分自身の内に誰しもが持っている、「当たり◎」しか引けないサインが、
常にわたしたち自身を「こっちだよ」「次はこれだよ」を導いてくれているのだから。

そのサインに気づき無視しないで活用するために、
「今ここ」という状態であるべきなのです。
そしてその「今ここ」の連続で現実という時間が積み重なってゆくだけ。
そしてそれはなぜか「完璧」な展開になってしまう。というだけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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