わたしにとって、とても大切でだいすきな人がいます。
(…という書き出しですけれど、これは恋愛ネタではありません。期待しちゃった人、ごめんね笑)
彼にはとても憧れるところがあるし、気も合う。
あまり一般的でない価値観や感覚を共有することもできて、
人に伝えづらい話や気持ちも、「ちょっと」話しただけで、わかり合うことがあります。お互いに。
だから、一緒に過ごす時間は心底ほっとするし、
力をもらったり、背中を押してもらったり、羽を休めるときもあります。
だいすきです。
こんなことを書くと、
「付き合ってるの?」とか、
「一緒になればいいのに」とか、
「絶対合うと思うよ」と、
思う人やそのような意見も出るでしょう。
そこがちょっと違うんだな。
表面的に見たら、
「付き合ったら良さそう」に見えるのだけれど、
ちょっと違う。
しばらく、この「ちょっと違う」感は何だろう?
気も合うし大切でだいすきなのに、
最終的なところで一緒になれない感じは何だろう?
と思っていたけれど。
わかったんですよ。
人にはそれぞれ、その人にとってふさわしい立ち位置や役割がある。
その立ち位置や役割に優劣はなくて、
それぞれがそれぞれ一番ふさわしい位置と役割を全うすることで、
この世界は全体で完全なバランスが取れる、というだけなのだけれど。
わたしはどうやら、そしてどうみても、
女王タイプです。
そんな生意気な位置に立つことは嫌だったし、生意気だと思われて人に好かれないことが怖かったけれど、
残念ながらどうみても、女王ポジションが似合ってしまう。ふさわしい。
わたしが家臣とか右大臣、のような立ち位置だったら、それこそ「ちょっと違う」となるでしょう?ね?
ただ、有能な各大臣がいてくれないと、女王は力を発揮できなくて、
有能な財務大臣とか有能な右腕がいてくれないとできないことがたくさんあります。
できないことはたくさんあるけれど、矢面や先頭に立つことは肚を据えてできてしまう。
だから、どの立ち位置の人間が優劣である、なんてことはなくて、
みんなそれぞれ、必要なふさわしい役割である。ということ。
そしてこの、わたしと気の合うだいすきな人も、
王様タイプなのです。
どうみても同じ立ち位置のひと。
だから気が合うし、
あまり、一般的な人に伝わらない話も共有、共感できることがたくさんある。
女王と王様どうしの会話だもの。立ち位置が一緒なのだもの。
そりゃ理解できるよ。
王様の日常会話を、その国の農民がまったくおなじテンションで理解するなんてことはないでしょう。
逆もそう、農民の日常会話の中に、王様が考えている国の動かし方の話が出てくるわけがない。
大臣クラスには大臣クラスの日常があるし、
右腕という立ち位置のひとには「人を支える立場」であるからこその苦悩があるでしょう。しかしそれは、「支えられる立場」の王様が理解できることではない。
このように。
同じ立ち位置だからこそ共有できる話があって、
一国の女王と、一国の王様は、
国は違えども立場が同じだから、分かり合えるのです。
それぞれ一国の、というところがポイント。
ひとつの国には、
一人の王様、一人の女王がいればいいのです。
だから、どんなに気が合おうとも、
ひとつの国に王様と女王さまが二人君臨することはできないのです。というか、その必要がないの。
ひとつの国内に、一緒にふたりで立たなくていい。
ひとつの国の矢面や先頭に立つ役割の人は、
ひとりいればいいですから。
そしてそれぞれが自分の国を豊かに育みながら、
必要な時に外交するのです。
それが両国にとってのますますの繁栄になる。
「最終的なところで一緒になれないような、なんか違う感じ」というのはまさしくこれでした。
わたしが女王をつとめている国に必要な人材ではない。わたしの国に、王様はいらない。だって、女王がすでにいるもの。
わたしの国はわたしが責任を持って育んでゆきますから、
そちらの国はそちらが育んでくださいね。
しかしこの、女王とか王様という立場が結構大変なこともわかるから、
たまには労いあいましょうね。そんなときに、これほど気持ちや考えを共有できる人もいないよね。
いや、だってこれ、女王と王様の会話だもの。家臣たちに理解してもらえるわけがありませんよね。
このような話を話せる相手がいて良かったですねぇ…!という、外交を交わす、大切な存在なのです。
これに気がついたときに、ものすごく腑に落ちました。
わたしは隣国の発展に憧れて、「我が国も!」と思うし、
むこうは逆に、「我が国でも隣国のやり方は使えるのだろうか」と思うそう。
とても良い、近隣諸国との関係じゃないか。
隣国同士がこのような関係である、そのような国がまとまって隣あっている、ひとつの大陸は、
平和で豊かにしかなりません。
わたしたちはそのような肥沃な大陸を築いてゆく、同士なんです。
とても大切でだいすきなあの人は、
隣の国の王様です。
こうやって、立ち位置や役割という観点を理解すると、
「だいすき」の種類もより細かく感じることができるし、
感情だけに惑わされてうまくゆかない人間関係も減ってゆくと思います。
大切なのは、それぞれの人間がふさわしい位置と役割を全うすること。