今日は朝から、ものすごく嫌なことがあった。
ひとに頼んでいた案件が、こちらのイメージどおりに仕上がってこなかったのです。
わたしは○がくると思っていたのに、
届いたものは★だった、というような。
○と★の違い。違うよね。違うものだよね。
こういうときに「なんでイメージどおりにやってくれないの?!」と怒ることは簡単です。
けれどもそこで反射的に怒っても、瞬時に○が★になるわけはないし、
相手に怒り(怒りとはそもそも自分の感情です)をぶつけたところで、相手が気持ちよく次の手を打ってくれるわけじゃない。相手の機嫌を損ねてしまうか、関係が冷え込むだけでしょうね。
だから「なんでやってくれないの!?(怒)」は意味がないんです。無駄。
そうわかっていたら、相手に怒りをぶつけることはしません。だって無駄だもん。
でも、
「うん。怒っても無駄だし。大丈夫です。受け入れます!(キラキラ)」のような、偽菩薩のようなこともしません。だってそれ、ウソだもん。
「あーもうすごい嫌だ!なんで★が来てないのよ?こちらの希望が伝わっていないこともショックだわ!。っていうかそもそも○がきてるんだよなー。気に入らねぇ。絶対嫌だ。あーやだ。○嫌だ」
「けど、これをこのまま相手に怒っても無駄なんだよなー」
「あーでも絶対に嫌だ!○やだ!まーじーでー!嫌だ」
こんな感じが正直なところ。
で、これをやってると、
「嫌だ嫌だ」していることにも飽きてきて、
「んーーじゃあどうしようかな」という解決策に目が向き始めます。
解決策に目が向くまで「あーやだ。マジで嫌だ。やだやだ」をやってみると良いですよ。
それやり続けていたら、飽きるときがくるから。本当に。
今朝のわたしは、嫌だ嫌だをやりきった後に、「じゃあどうしよう」の解決策を探すモードまで自然とたどり着きました。
そして思いつく限りの解決策を講じてみたんだけど、どうしても○は★にならないんですよね。
そもそも○を★に変えることはできない、ということがわかってしまった。
はい、ここで絶望第二段。やだやだモードの2度目が到来。
「まじかよー。えーじゃあもう○でやるしかないってこと?まじで嫌だ。どうしよう…って言ってもどうにもできないらしいしな。え?どうすんの?嫌なんだけど!」
という感じで、また飽きるまで「あー本当に嫌だ」のイヤイヤモードをやっていたんですよね。
そしたら、気づいたんですよ。
「わたしは本当に★が良いんだ」ということに。
もう絶対に★が良くて、○は嫌なの。
★が良い、っていうか、★じゃないと嫌だというレベル。
それほど「わたしは★が良い」という、絶対的な自分の好み、望みがわかった。
この「絶対的な自分の好み、望みがわかった」ということが大収穫なのです。
これがわかれば、次回以降に、
「間違いなく★をオーダーすること」「妥協なく★をお願いすること」
ができるから。
ここに強い意志と絶対!という気持ちがないと、
また「なんとなくのオーダー」をしたり、「相手がわかってくれるかな」という期待を持ってお願いをして、
また○が届いちゃって、
「あー嫌だ。★が良かったのに。ヤダヤダ」・・・・・(以下繰り返し)
をやることになるじゃないですか。
まじそれ、絶対に嫌だから!こんなヤダヤダ騒動、2度も3度も繰り返したくないわ!やってられん。
こうして、ものすごく嫌な出来事の中から、
「絶対に嫌」の裏側を拾って、「絶対にこれがいい!これが好き!これが望み!」を見つけ出す作業をするのです。(ヨーガスートラ 2章33節も参考にどうぞ)。そうすると、嫌なことを自分の糧にできる。
「絶対にこれがいい!これが望み!」が抽出できてしまったら、それを叶えるだけだもの。
そして「絶対にこれがいい!」を外さないようになれまなるほど、身の回りの「嫌」が減って、「これがいい!好き」が増えてゆくでしょ?
自分の嫌が排除されて好きと望みばかりに囲まれるようになったら、幸せじゃないですか。っていうかそれが「夢が叶った」という状態でしょ?だって、好みと望みに囲まれてるのだもの。夢が現実に!じゃないですか。
わたしは絶対に★がいい。もう絶対に。今後○は絶対に使わない。
だって★がいいんだもん。絶対に。
という強い気持ちと希望が生まれました。
まじでもう、絶対に妥協しないぞ。
…と気持ちがここまでなると、
「では、今後必ず★が届くようにするためにはどうしたら良いかな」という改善、解決策を考えるようになります。そして出来る対策というのはたくさんあって、
「ひとにオーダーする際には「必ず★で」とお願い、確認する」とか、
「自分で★を作れるようになろう」とか、
「★を簡単に手に入れられるようなお金を得ればいいじゃん」とか。
解決策がたくさん出てきて、「ではそのうちのどれを採用してやってみようかな」を選ぶことができて、
選んだものをやってみて、案1がうまくいかなければ案2をやってみればいいし、
案1がのっけからうまくいくかもしれないし。
そんなことを繰り返していたら、どれかがうまくいって、ちゃんと★が届くようになる。
というか、★しか届かないようになる。んですよね。
★しか届かない=「絶対にこれがいい!」というやつしかこない
はい、完璧。望みどおり。幸せ。
になるんです。
自分の絶対にこれがいい!という好みや望みを抽出できる。
そしてそこに強い意志が発生する。
それをゲットするための対策まで考えつく。
結果、「絶対にこれがいい」だけを選べるようになる。
これってものすごく大きな収穫じゃない?
嫌なことからこれだけの糧を得ることができたら、もうこっちのものですよ。
嫌なこと、起きる出来事はすべて自分の糧にできる。
ちなみにここまでなったときにようやく、「嫌なことも起きた意味があったわー」と言えます。
ここでこの発言が出る人は、偽ポジティブ思考ではなくて、「本当に起きた意味あったね」と本気で肚落ちしている人ですから、胡散臭い感じがしません。偽ポジティブで胡散臭い感じのするひとと、とても大変なことがあっても「人生のすべてに意味がある」なんて言えちゃって、それが胡散臭い感じがしないひと。
2種類いるけれど、その両者の違いはこれですね。
本当に嫌なことを本当に糧にできているか、否か。それが違うの。
起きる出来事すべてを、自分の糧にしてしまいましょ。