自分と外側との調整の話

「自分の感覚を大切にしよう」という、わたしもずっと、そしてしょっちゅう言っているフレーズ。
これはものすごく大切なことだけれど、
これをしていると、

では、外側との折り合いはどうつけるの?

という問題が出てくる。

ここでいう外側とは、
自分以外の他人や、まわりの環境のこと。

自分に感覚を大切にした選択をすると、
自分以外の他人やまわりの環境との折り合いがつかなくなるのだけれど、
その場合はどうしたらいいの?

という話。



ちなみに、このような相談をとてもよく受けます。このまえ旅先で、軽い登山のようなことをした。
正しく言うと、それは登山ではなく、岩を登った。まぁ、おなじようなものだよね。



そこへ行くことがわかっていたから、
久しぶりにスキニーパンツとTシャツを用意していて、それを着た。
ちなみにTシャツは「このタイミングでお揃いで着よう」と、気持ちが浮かれて用意していたもの。

だから、Tシャツそのものは気に入っているもの。
(だけど、あまりわたしはそのTシャツの色味は似合っていなかった。笑)

そしてそれを着て、岩にも登って、それはそれは楽しかった。


その翌日は街で遊ぶ予定だったから、
新しいワンピースをおろした。気に入って購入していた、色の鮮やかなワンピース。


そしてワンピースを着てカフェで写真を撮って、
その写真を見て思ったの。

「わたしやっぱり、こういう服の方が好きだわ」と。

そして写真を撮ってくれた人も、

「そうだね。こういう方が似合うね」と言う。



わたしにとって、好きな服、気持ちが上がる装いというのは、
鮮やかなワンピース。

だから、「自分の感覚を大切にして選ぶ」なら、
絶対に鮮やかなワンピースを選んで、着る。


じゃあ、前日の岩登りで着ていた、
Tシャツにスキニーパンツは間違いだったのかな?
自分の感覚を大切にしないで選んだことなのかな?

ここが、
自分の感覚を大切にすることと、他人や周囲との折り合いをつけること、の二つに板挟まれてつまづくポイントだと思う。
(それぞれ、自分の問題に置き換えて考えてみてね)



たしかに、
「自分の感覚を大切にして選ぶ好み」としては、わたしは絶対に鮮やかなワンピース。

Tシャツやジーンズといった格好は好きじゃない。
「好きじゃない」と感じているから当然、あまり似合わない。


じゃあなんで着たのか?っていうと、それは、


「岩登りを楽しみたい」という最大も目的(望み)と、
「お揃いのTシャツを着たい」という目的(望み)があったから。

自分の目的(望み)を叶えるために、それに必要な服装をしたのです。
目的(望み)を叶えるために必要な格好がその、Tシャツとスキニーパンツだったから着たの。


ここがポイント。



普段の生活のなかで、条件や状況が特殊でないときは、
そりゃ「好みだけを考えて(感じて)着たいものを着る」よ。

しかし今回の目的(望み)は、岩を登ること。

岩を登るのに、ワンピースを着て行くことも不可能ではないけれど、
「自分がやりたい岩登り」を、
「自分が快適に楽しむため」には、
どうするのがいいかな?を考えて選択をしたらTシャツとスキニーパンツだったということです。

そして、「お揃いで着よう」と言われて、「自分がそうしたい」と感じる相手からの提案だったから、お揃いのTシャツを着たのです。

これがもし、
「自分があまり行きたくないと感じている登山」だった場合、
「Tシャツとジーンズを履いてまで登山したくないよ」と言って行かなかったことでしょう。

お揃いにしたい!と思えない相手からの提案だったら、「わたしはTシャツは好きじゃないから着ないよ」と断っていたことでしょう。



そのときに、わたしの中で大切なことややりたいことが、

岩登り > ワンピース
お揃いのTシャツ > ワンピース

だった。


表面のスタイル(着ているもの)だけを見たら、
Tシャツとスキニーパンツという格好のわたしは「自分の感覚や好みを大切にしていないように見える(だって本来の好みはTシャツじゃなくてワンピースでしょ)」でしょう。
けれど、表面のスタイルはそれだったとしても、「そのときに一番大切にしたいこと(まわりの環境や他人)に合わせた選択をした」の。

それで、
景色とも、アクティビティの内容とも、一緒にいる人とも「合った」形
ができあがった。


こうして調和をとることができます。




自分のいつものスタイルや服装の好みをまったく曲げずに貫くことだけが、「自分の感覚や好みを大切にすること」ではありません。

その時々で、「自分もとって一番大切にしたいこと」を大切にするために、
服装や格好や言動を選ぶ。
それによって、「大切にしたいことを大切にできる」と調和が生まれます。


そのために、
「いま自分はなにを大切にしたいのか」
を自覚している必要があります。

自分の「大切にしたいこと」が定まっていない限り、
「大切にしたいことを大切にするための選択」ができないもの、ね。


いま大切にしたいことは、
ワンピースなのか。
岩に登るという行為なのか。
お揃いの服を着ること、なのか。


「いま大切なのはどれ?」「いま、やりたいことはどれ?」
それをその都度選択する。


そしてその「自分が大切にしたいことは何か」を自覚するために、
自分の好みや感覚を捉えておく必要があります。

これが好き。こういうことをしたい。
これは嫌い。こういうことをされるのは嫌だ。

好みや感覚を大切にする、というのは、この「自分のおおもと」を知るために使うのです。

決して、「表面的な服装のようなスタイル」を押し通すために使うのではありません。

もっともっと奥にある、
本当に大切にしたいことや本当にやりたいこと、本当の好み、を知るために、使うのです。

表面的な感覚や好みに惑わされないで…!
好みや感覚を活かすポイント、を見極めて。




そうしていたら、自ずと、
「自分の感覚や好みを大切にしつつ、まわりや他人と調和をとること」はできるのです。








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