背景がいくら変わろうとも

ヨガクラスの配信や私生活など、「ちょっと諸々」なことが重なっていて、
こちらのコラムがなかなか書けずにいました。

すこしおひさしぶりのtomokoです。こんにちは。ナマステ。

コロナウィルスの登場を引き金に大きく世界が変わろうとしている、いま。
日々考えることや思うことと時間があるので、

文章を書く=コラム の世界へ戻ってきました。

そう。そういうわけでいまは東京で一人ロックダウン中。

まだ日本は、国も政府も自治体もロックダウン、都市封鎖を発令していなくて、自粛要請といっています。
しかしわたしは、感染拡大の防止と一刻も早い世界収束のために、ひとりでロックダウンしています。

これは、「だから褒めて!」ということではなくて、自分と自分のほしい世界を守るためにしている、自分のための行為。そんな自分のために行為が結果的に世界のためになるのだから、やらないわけがありません。

ロックダウンといっても難しいことはなにもなくて、
基本的に一歩も外へ出ない。やむを得ない用事の時だけフル装備で外出。

というスタンスです。食料品を購入するなどは外出します。だから、あまり、というか全く生活に困ることはありません。

むしろ「ウィルスを正当な理由にして」引きこもっていられるので都合が良いくらいです。

以前がんの治療をしていた時も、「がんなので」と言えば誰もわたしの欠席や引きこもりに文句を言うことができなかった、

あのときのような「正当な理由がある開放感」を感じているくらいです。

今回はこのような世界情勢ゆえ急に場所の移動をしてきたわけですが、わたしはなぜいつも、どこへ行っても、「相変わらず」な感じで生活があまり変わらないのだろうか?と考えました。

現に、一人ロックダウンという外出自粛の極みをやってみても、わたしの日々は「まぁ相変わらず」なのです。

日々なにをしているかというと、

朝起きて、
掃除やお洗濯をして、
ごはんを作って、
ヨガをして、
たまにヨガ配信をして、
本を読んで、
文章を書いて、
友人とやりとりして、

一日を終える。
だいたいこれです。これがわたしの暮らし。

こう書き出すと顕著に気づくけれど、
…あれ?いつもと同じじゃん。

暮らしのベースがだいたい、これなのです。

そしてこれは、ほとんど「家の中でできること」であって、「どこの国でも変わらないこと。できること」です。

だから、いつでも、どこにいても、「家という箱」があるかぎり暮らしは変わらないから、相変わらずなのです。

急に日本へ戻ってきても、しばらく海外で暮らしていても、
やっていることが変わらない。

好きなことが、

ヨガ
本を読む&文章を書く
料理

なんですよね。だからもう、ブレようがない。

こういう「自分の身をもってできること」が生活や趣味の軸にあると、
どんなに背景の景色や環境や状況が変化しても、
その中心にいる自分は変わりません。

中心にいる軸となっている自分が変わらない、自分の暮らしが変わらない、から、
どのような環境や状況でも落ち着いて生きてゆけるのです。

世界の大きな変わり目である、いま。そしてここからしばらくの時間。

背景の景色や環境も大きく動いてゆくでしょう。

そのようなときだからこそ、人類全員に、
中心にいる自分というものを見つけ出してもらいたいな、と思います。

中心にいる自分という、動かぬ軸を見つけることができたら。
どのような激動の渦中でも、右往左往することなく生き抜くことができますから。

tomoko.

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