魔法の言葉

インドにいるとき、16時間電車がこない。なんてことがあった。

3時間ほどの電車の遅延は普通だった。そしていつ来るかわからない電車をじっとその場で待ち(いつ来るかわかならいもんだから、そこで待っているしかない)、ようやく来た!と思ったら隣のホームに入ってきて急いで階段を駆け上がる、なんてこともある。

オンラインで予約していたアシュラムに「予約?そんなの入ってないよ?部屋あるかなぁ…」と、その時点から空き部屋の確認、お部屋の準備、なんてこともあるし、

縫製を頼んでいたサリーが「受け取り時間」に取りに行ったら、「その時間から作業を開始する」というふざけたこともあった。

山をバイクで走っていたら急に象が現れたこともあったし、
バイクの4人乗りなんて当たり前の日常な光景。

きわめつけは、高額紙幣が使えなくなった事件。

夜の8時に首相の会見があって、「今夜0時から高額紙幣は使えなくなります。廃止です。全て新紙幣に切り替わります」と宣言された。

インド時間の夜8時ということは、東京の夜11時30分。

もちろん眠っていたわたしは、翌朝に起きてそのニュースを知った。ということは、ニュースを知った時点でわたしの手元にあった10000ルピーほどの紙幣は、紙切れになっていた。

このような「まじかよ!?」な出来事を投げつけてくるインドだけれども、
どんなことがあっても、

「まぁ、インドだから」

の言葉で納得してしまう。
何が起きても、「インドだからしょうがないな」と思ってしまう。

それは、これまでの体験を通して、
「インドはこちらの想像もつかないことをやらかしてくる国である」
とわたしが認識しているから。

インドという国に対する認識が、

「ありえないことが起きる」
「こちらの常識は通用しない」
「インド人の思考はいちいちわたしの想像以上である」

なのです。
だから、ありえないような出来事が起きたとしても、

「まぁインドだからな」

で終わってしまう。

ハナからインドに対する期待値が低いので、

「しょうがないな」

と思う。

もしわたしが、
「インドは時間と規律を守る、わたしの常識とほとんど価値観がおなじ国だ」
と認識していたとしましょう。

そのような認識でいたところに、

電車は来ない。
象は出る。
紙幣は急に紙切れになっている。

そのようなことが起こったら、
「なんで?どうしたの?事前から計画を立てて告知をしてちゃんとしてよ!」
と、怒りが生じるかもしれません。

しかし元々の認識が
「ありえないことが起きる国だからな」
なので、

ありえないことが起きても、その時に驚きはするものの、受け入れることができるのです。

つまり、起きる出来事が正しいか正しくないか、その内容がどうであるか、が問題なのではなく、

起きる出来事が自分の認識どおりであるか、認識とは異なっているか、が問題です。

そして、自分の認識と出来事に大きな乖離(ズレ)があればあるほど、
ショックを受けたり怒りが生まれたりする。それだけです。

簡単にいうと、

期待どおりのことには怒りもしないし、ショックも受けない。
期待どおりでなかったときには、怒ったりショックを受けたりする。
想像できたことには怒りもしないしショックも受けないけれど、
想像どおりでない、予定どおりでないことには、怒ったりショックを受けたりする。

のです。

ということは、

相手や出来事に対して勝手に抱く「期待」が少なければ少ないほど、
怒ることもショックを受けることもありません。

相手や出来事に対して、過剰な期待をすることをやめてしまったら良いのです。

そうしたら「裏切られるもの」がそもそもないので、不要なストレスが生まれません。

というか、ストレスとは、

自分が勝手に相手や出来事に期待して、
それが自分の期待どおりにならなかったから、
「予定とちがう!おい!」
といって怒りから生まれるものです。

ということは、すべて自作自演!なのです。

最近話題になっている「1世帯にマスク2枚」事件。

これに怒っている人をたくさん目にします。

たしかに「はぁ?何言ってんの?この有事の際にマスク2枚でどうにかなると思っているわけ?バカなの?」という気持ちはとてもとてもよくわかります。

わたしも「バカなのかな?」と思いました。

けれども、ここであの魔法の言葉を。

「まぁ日本だからな」

です。

わたしはしばらく前から、現在の日本という国に対して、
期待も信頼もまったくしていません。
はっきり言って、もはや先進国だとも思っていないし、「東アジアに位置するひとつの島国」としか思っていません。

文化や国民性が独特で味わい深い国だよね!という感じ。

だから「国がなんとかしてくれるんでしょう!」という期待もないので、
マスク2枚と言われても、

「出たー!」という感じです。

インドで電車が時間どおりに来ないことがわかって、
「出たよ!またかよ!」
というリアクションのように、

マスク2枚と言われても、
「出たよ!バカなのかな?」
というリアクションなのです。

おなじおなじ。

だって、これまでの政治や事件や国全体の様子を見ていて、
期待や信頼をできる要素がなかったんだもん。

期待や信頼できる要素がないものに対して、
勝手に期待や信頼を乗せるのは、こちら側(自分)の贔屓目やエゴだと思うのです。

これまでや現在に繰り広げられている「現実をそのまま見たら」、
そのままの判断ができるでしょう?

そのままの判断をせずに、
期待や信頼を上乗せして、
期待や信頼を裏切られたからといって怒ったりストレスを感じたりするのは、

バカらしいじゃない。

だから、いつも、

目の前の現実をそのまま見て、起きていることをそのまま判断しようよ!

と思っています。

ちなみにこのマスク2枚の件。

わたしは「これでじゅうぶん」だとは思っていません。
容認もしていないよ。

ただ、「期待を裏切られた怒り」はもっていないよ、というだけであって、
マスク2枚で良い!とは言っていない。

その容認できない。受け入れたくない。そういう現実があったときに、
その次にどのような行動をするかも各人が選べるのです。

抗議することもできるし、
そんな国をもっと良くしたい!とそのための行動をすることもできるし、
こんなところでもうやってられねー!信頼したいと思える国で暮らしたい、と他国に移住するさえもだってできる。

次の行動を自分で選べばいいだけ。

これをせずに、
期待を裏切られたことに反射的に感情を動かされて文句を言っていても、
何も自分の糧になりません。

そういうエネルギーの無駄遣い、やめよう。

自分のエネルギーは無駄遣いせずに、
自分が望む自分の未来と世界を創るために遣いましょうよ。

今後どんな発表があったとしても、この言葉で太刀打ちしたらいい。

「まぁ、日本だから」
「これが日本です」

事実、現実として、このような有事の際に布マスク2枚は配布される国なのですから。

良いか悪いか、好きか嫌いかは別にして、「そういう国」であることは事実です。

だから、次になにか発表があったときに使ったらいいのよ。

「まぁ日本だから」
「これが日本です」

ストレスを緩める、魔法の言葉。

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