「努力」の認識をバージョンアップ

「努力」という言葉を聞いて、どんなイメージが浮かぶ?
まずはここから。自分の認識を確認するところから。

 

「努力」を辞書で引くと、

ある目的のために力をつくして励むこと
目的を実現するために、心や身体を使ってつとめること

と出てくる。他の辞典を引いても、だいたい似たような内容が説明されています。

 

 

「努」という漢字は

力をつくす
はげむ
つとめる

などの意味。だから、「努+力」の努力は、とにかく、

力をつくして励むこと

という意味で間違いない。

しかし、「ある目的」が「どの目的」であるかは、
「努力」という単語の中では指定されていません。

「目的を実現するため」と書いてあるけれど、
「どの」目的を実現するためか、は書かれていません。

 

 

ふりだしに戻って。
「努力」と言う言葉を聞いたとき。

不得意なことをできるようになるために頑張ること

とか

得意なことをもっとできるようになるために伸ばそうとする、そのために頑張ること

のようなイメージを浮かべた人が多いんじゃないかな?
イメージで捉える「努力」と言う単語には、そんな印象が植え付けられているような?

 

そうじゃない?

 

しかし実際のところは、

「ある目的のために」
「目的を実現するために」

としか定義されていなくて、

「どの目的」かは指定されていません。

 

 

それなのに。

不得意なことをできるようになるように、とか、
得意なことをもっとできるようになるために、

という目的設定を勝手にしてしまっている。
言葉を正確にとらえていない証です。

 

そして、これが壮大な間違いなんです。

 

わたしたちがやるべき努力というのは、

自分の役割でないことをやらないこと。
無理を感じることをやらないこと、
嫌なことをやめること。

これです。
この目的のために力を使うのです。

 

「え?そんなの、努力じゃないじゃん。ただのサボりじゃん」
と感じる人が多いかもしれません。

 

そ!れ!が!!
そ!こ!が!!

「誤ったことを正解と思い込んでいる」状態なんです。

 

できちゃうことをやらない、には覚悟がいるし、
嫌なことを断るのにも覚悟や工夫が必要。
自分で苦手なことを代わりに誰かにやってもらうには、
お願いをする手間や、場合によっては金銭や、「どんな言い方をしたら良いかな?」の知恵が必要になります。

その手間や覚悟を引き受けて、
円滑にすすめるために努力する(力をつくして励む)のです。

 


サボるために努力が必要なんだよ。
そして力(努力)は、この目的、このベクトルに使うんだよ。

 

 

わたしたち人間は、それぞれがそれぞれ自身の姿やそのままの在り方、で存在すると、もっとも調和のとれた状態になります。個人としても、社会や世界全体としても。

ヨガの実践をすることで目指しているのも、
アートマ(魂)そのものである状態。

 

アートマそのもの、その人自身そのもの、であればいいだけなのに、
これまでの長い社会生活の時間の中で、
「わたしで在る」という以外の役割や状態をたくさん身につけてきています。

 

興味のない勉強をしたり、
誰かに評価されるための仕事をしたり、
立場に合わせた振る舞いをしたり。

そういうことをたくさん身につけてきて、
本来の自分、アートマとしての存在をすっかし忘れてしまっています。

それが現代の多くのわたしたち、人間。
なのに、このうえに「さらに何かを」身に付けようとしたら、
ますます、本来の自分、アートマとしての存在がわからなくなってしまいます。

だから、やるべきなのは、

 

「さらに身につける」

ではなくて、

「身につけすぎてしまった鎧を脱ぐ」

こと。

 

本来のわたしにとっては不要だったのに、
社会や世間で評価されるために、
誰かに褒められるために、
たくさん身につけてきたそれら、を手放す。

そのために力をつくす(=努力する)のです。

これまで頑張ってしてきた努力、
不得意なことをできるようになるために頑張る!や、
得意なことをもっとできるようになるために頑張る!は、

間違ったベクトルに力をつくしていた(努力していた)のですね。

 

ベクトル、間違っていた!!!よ!!!!!

 

これからするべき努力というのは、

自分の役割でないことをやらないこと。
無理を感じることをやめること。
苦手なことはやらないこと。

そう、「サボる」努力です。

そうすることによって、
不要なものをこれ以上身につけなくてすむ。
そして身につけすぎてしまった不要なものを取り外す。

それによって、
重しの下に埋没して迷子になっていた本来の自分自身、アートマという存在を取り戻すのです。

 

 

それぞれがそれぞれの自分で在るだけ。
アートマの存在であるだけ。
それだけで世界の調和がとれる。

これからは、

正しいベクトルに努力をしましょう。
「努力」の使い方を誤らないように。ね。

 

 

 

 

 

 

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