天気の良い午前中に干した、お洗濯。
午後になってふと、「そろそろ取り込んだ方が良いかな」と思う。
そして取り込む。取り込んだ途端、雨が降る。
というのは、まぁあること。でしょう?
今日は傘を持って行こう!と思っていたのに、
すっかり忘れてしまった時や、
「やっぱりいいや。めんどくさい」と持って出なかった時に限って、
雨が降る。
こういうことも、よくあること。
本当は知っている。
そろそろ洗濯物を取り込んだ方がいいな。
今日は傘を持って行く方がいいな。
ということを。
わかっているんだけど、
めんどくさいなー(エゴ)、
この本を読み終えてからにしよう(思考)、
あと30分してベランダの施錠の時間に合わせて取り込む方が効率的だな(思考)、
重たいの嫌だな(エゴ)、
傘ではない他のことに気を取られて忘れてしまう(思考)、
という妨害にあって、「本当はわかっているそれ」を逃してしまうのです。
それによって、
洗濯物が雨に濡れたり、
傘がなくて困ったり、する。
「本当はどうしたらいいか」は、ちゃんと知っている。
そう。人間というのは全知全能なのだと思います。正確には、
「人間個人それぞれの中に搭載しているアートマ(魂、神、大元の存在、ソース、などどのような表現をしても良いけれど)は全知全能である」かな。
とにかく、わたしたちひとりひとり全員が、
そのような、全知全能の機能を備えています。
それなのに、
思考とエゴの妨害によって、
全知全能の能力を発揮していません。
もったいない!よね?
しかしそれがいまのみなさんの現実。
幸せに生きたい。
快適に暮らしたい。
そういう望みは誰しもが持っている。
そして誰しも無意識レベルで、その望みを発している。
発した望みが実現するためにはどうしたらいいか、
全知全能の存在は導いてくれています。常に。
全知全能だから、「どうしたら実現するか」はわかるんだよね。全知全能なんで。
それで、「導かれたそのとおりにする」だけで、望みは実現します。
だって、その「どうしたら」の部分は完全に知っているから。全知全能なんで。
その無意識の望みを叶えるべく、
そろそろ洗濯物を取り込んだ方がいいな、今日は傘を持っていった方が良さそう(そうしたら雨に濡れない→快適な暮らし)という導きがあるのです。
導かれたそのとおりにすれば、
幸せに生きられるし、快適に暮らせる(無意識レベルで放った望み)。
すごく簡単じゃないですか?
思考とエゴの妨害に惑わされず、
「こうしたらいいな」に従うだけ。
それだけで、幸せに、
望んだとおりになります。
もしいまの現実が、
こんなの望んでいない、とか、
うまくいっていない、と感じているとしたら、
それは、
思考やエゴに従った結果、なだけですよ。
これからは、
思考やエゴの妨害に負けずに、
アートマなどと呼ばれる、自分の中に搭載している全知全能の存在からの導きに従えばいいだけです。
それは「ふと」とか「こうしよう」とか「なんとなく」という、
ふんわりした感覚でやってくる、声や思いつきです。
そんな声が聞こえたとき、思いつきが起きた時に、
「なにかを考えて、その行動を止めてしまう」ことがないように気をつけて。
わたしたち人間、ひとりひとり全員、
全知全能なんですよ。
自覚してる?
自覚しよう。
そして本来の力を発揮しよう。
なんでも望みどおりに創造できるんですよ。
つまり、なんでも叶っちゃうってことだよね。
すごいよね。すごいけど、事実。
とてもシンプルだけど強力な事実です。