なかなか気にいる文章をある程度書いたところで、
下書き保存していなかったそれがまるっと消えるという現象が起きました。なう。
久しぶりに張り切って記事を書くとこれだよ…と打ちひしがれつつも、まだやる気ゼロまでは落ち込んでいないので、改めて続きを書こうと思います。
というのも、しばらく記事を書いていなかった間に、それはそれは色々なことがありました。
2020年は世界中誰しもにとって、大きな変化と変動があった時なのではないかと思います。「これまで通り」が通用しなくなって、
社会とは?仕事とは?家族とは?自分とは?
そういう「当たり前にそこにあって目を向けることさえしなかったもの」に目を向けざるをえなくなったといいますか。
目を向けなかったものを改めて見る、という作業をした時に、自ずと、
新しい視点や、これまで見過ごすことにしてきた自分のこと
に気がついてしまった人も多いんじゃないかな。
わたしにも漏れなく、その「気がついてしまったこと」があって、
そのひとつにあるのが「文章を書きたい」ということ。だから、今後どのような形になって展開してゆくのかはわからないけれど、
ひさしぶりにこのページを開いています。
これまではどこか「ヨガの先生として」「良いことを」書こうとしていた部分が少なからずあったけれど、
2020年のひっぺがしの中で、そのメッキも剥がされてしまったようです。
これからは、ただのtomokoという人の日常とそれで感じたこと、考えたことを気楽に書きたいな。とすら思っています。
不思議だ…ね。
2020年がもたらした変動のパワー、すごい。
見過ごすことにしてきたけど気がついてしまったこと、のひとつに「人と場所」もあります。これまでスルーしてきたけれど、いよいよ見過ごすことをやめようと決めて、好きな人と好きな場所で暮らすために引っ越ししてきました。
2020年の変動のパワー、すごい。ね。
わたしはたまたま、文章を書きたい人で、海外で暮らしてみたい人、だったからそうしました。
けれども、この好みの部分はみんなちがいます。
ちがっていて良いんです。
ファッションを楽しむことが好きな人もいるし、
音楽をやりたい人もいるし、
自分のお店を持ちたい人もいるし、
玉の輿に乗ってゴージャスな暮らしをしたい人もいるし、
子どもが欲しい人もいるし、
子育てを楽しみたい人もいるし、
自給自足の暮らしをしたい人もいるし、
タワマンに暮らしてみたい人もいるでしょう。
パッと考えてみても、これだけのバリエーションが浮かぶほど、
好みや形はバラバラです。
欲しいものはみんなちがう。
欲しい「もの」はみんなちがうけれど、
その欲しいものを得たあとの「幸せ!うれしい!楽しい!という感覚を味わいたい」という点ではみんな共通しているのかもしれないね。
これは真理だな。
そういうわけなので、欲しいものはみんなちがう。
これをまず大前提にしましょう。
これを前提に持つことができるとまず、「みんなと同じようにしなくちゃ」という呪縛から解き放たれます。
すこし前まであった、良い大学に行って、立派な仕事について結婚して子どもを持って、家を買う。みたいなやつ。
最近の若い人にはもう無いかもしれないけれど、わたしの世代(アラフォー)の一部にはまだ残っている価値観だと思います。
でもさ。みんながみんな都内のマンションとか戸建とか、欲しいわけがないじゃん、ね?
もちろんそれが好みな人もいるし、それは否定しないけれど、
それが好みでない人はそのプロトタイプにはまらなくても良いんだよ、ということです。
一般的なプロトタイプにはまれないことを、うしろめたく思う必要もありません。
それなのにわざわざこうやって書くのは、わざわざこうやって書かないと「なんとなくうしろめたく思わされてしまう」同調圧力のようなものが、日本にはまだまだ根強くあると感じるからです。
欲しいものはみんなちがいます。
ちがっていていいんです。
これが腑に落ちると次は、「ということは自分が欲しいものを相手が欲しいわけでもないんだな」ということに気がつきます。
ということは、「取り合い」は起きない、いうことがわかるはずです。
わたしはAが欲しい。
隣のこの人はBが欲しい。
わたしはAを得る。
隣のこの人はBを得る。
ほら、平和だね。取り合いなんて、ない。
それなのに、「欲しいものはみんな同じである」とどこかで勘違いをしていると、自分が欲しいものを得た時に「羨ましがられないように」「奪われないように」という防御反応がはたらいて、
欲しいものを得た喜びを堂々と表現できない、という事態が起こります。
せっかく欲しいものを得たのにそれを堂々と喜べないなんて、寂しくない?
そんな、喜びを味わえない、味わい合えない世界からはとっとと脱出したくない?
そのために大切な大前提が、
欲しいものはみんなちがう
ということ。これを忘れないようにすること。
みんなと違うものを欲しがって良いし、わたしはわたしの好みを選んでいい。
そしてそれぞれ好みは違うから、わたしの欲しいもの=隣の人の欲しいものでもない、だから奪われないし、奪い合いも起きない。
大丈夫。
みんなそれぞれ、自分の好みで堂々といったらいいよ。
わたしのまわりにひろがる世界では、すでにこの感覚が当たり前になりつつあるけれど、
もっと広範囲でこれを当たり前にしてゆきたいし、
普段これが分かっている人でも、ふとしたときに同調圧力や社会の大多数にのまれてしまいそうな時もあるから、リマインドしておこうっと。