お天道さまは見てる

今日は朝から「バレてしまった…!」で気まずい(後ろめたい)思いをしている人を目の当たりにしました。

プライバシーに関わるので詳細は省きますけれど、
「どうせバレないよね。わからないよね」と思ってやったことが、あっさり相手にバレてしまって、「なんでわかったの?」という言う、まぁわかりやすい展開、よくある話です。



2020年の現在、技術はものすごく進歩しています。
インターネットもそう、ネットの中のデータ技術もそう、センサーなどの「実際に目には見えない」電波や機材の類もそう…。
例を挙げれば挙げるほどキリがなくて、考えれば考えるほど怖くなるかもしれないけれど。例えば、街中のあらゆるところに設置されている防犯カメラだって、常に働いているわけです。そのおかげで、犯罪が起きた際に犯人の足取りが追えたりもする。
そこまで、「人間ひとり」を追うことができるくらい、当たり前に技術が進歩し定着しています。


そしてこの「技術の進歩」に、わたしたち人間の理解が追いついていないことが多々あります。
一部、その分野に関わる専門家はその仕組みを理解しているかもしれないけれど、一般の大多数の人は理解していないことが多いよね。
インターネットもそうじゃない?どういう仕組みであれだけの情報が瞬時にパソコンやiPhoneの画面に表示されるのか、その仕組みはよくわかっていない。けれども、使用することはできる。そういう人がほとんどだと思います。


それほど、理解できないレベルで技術はすでに進化しているということです。


これは「目に見える」世界の話。




この対極に「目に見えない」世界やチカラもあると、わたしは思っています。
神通力や千里眼、というと大げさだけれども、ふと働く勘や予感。その精度は人それぞれだけれども、多かれ少なかれ人間が兼ね備えている機能。

よく「女の勘」という表現があって、特段の証拠があるわけではないけれど、彼氏や旦那さんの浮気に気がついてしまうというアレ。まさしく「目に見えない」能力の結果。




そういうわけで、
「目に見える」レベルでも技術はものすごく進歩していて、
「目に見えない」レベルでも人間が兼ね備えている能力があるわけだから、

「ひとにバレないように」何かをすることなんて、そもそも難しいと思うんです。

仕組みが理解できないレベルで進歩している技術をかいくぐり、どういう仕組みでそうなってるのかわからない人間の勘や第六感に触れないようにするなんて。
どう考えても難しくない?ですか??
目に見えるレベルも、目に見えないレベルも、かいくぐりきらなければならない…そんなの難しいよね。というか面倒くさい。



そしてまた人は、すでにこの事実に気がついているはずなんです。
だから、なにか隠し事があるとき、コソコソしながら何かをしているときは「うしろめたい」という感覚が生まれます。
うしろめたいという感覚は、「いやー隠し通すのって結構大変!なんだよ!な!!」という難易度に気づいている証。難易度に気がついている、という自覚を、うしろめたいという感覚で感じさせられているのです。


ついでに言うと、その「うしろめたい」と言う感覚があるから余計に「バレないようにしなくちゃ」「見つかったら嫌だな」という思い強くなり、強くなった思いが強めの周波数で相手の第六感に届くから、「なにか隠し事していそう」と気づかれてしまうのです。

わかる?

「バレないようにしなくちゃ」と「隠し事をしていそう」は、「隠し事有り」というおなじ周波数を放っています。それを、隠す人と見つける人がいるだけ。そもそも「隠し事無し」だったら、隠す人も見つける人もいない。




そういうわけなので、そろそろ「バレないことの方が難しい」という覚悟をもったら良いと思うのです。

だいたい、なにかうしろめたいことや、見つかりたくないこと、バレたくないことを抱えている間は、いつもどこかスッキリしないでしょう?
どんなに小さなことだったとしても、そのような小さな石をお腹に抱えたような状態だと、地味にずっとボディブローを受けているような感覚になりません?
そしてそれはストレスになります。



そんなストレスを全く抱えずに、いつもスッキリ生きられる方が気持ちが良いじゃないですか。



スッキリ毎日を過ごせる方法。それは「バレないことの方が難しい」という覚悟をもって、誰に見られても知られても、まぁ大丈夫なふるまいを日々重ねてゆくこと。



実際に、めちゃくちゃ進歩している技術でどこから何を見られているか、知られているか、はわからないし、
相手や知人がものすごい千里眼を持っていてなんでもお見通しかもしれないし。
どの角度から見ても、「まぁだいたい見られてる」ようなものだと思うのです。



日本には昔から「お天道さまが見てる」という言葉があります。
ネットや技術に監視されている、誰かが千里眼で見ている、と聞くと気持ち悪いと感じる人も多いでしょうけれど、お天道さまに見られているのはしょうがない。と思えるんじゃないかな。

そしてこれはまぎれもない事実。
いつもこの言葉を心に留めて、いつ誰にどこから見られていてもうしろめたくないふるまいで日々を過ごしましょうよ。


それが一番の健康と開運のコツだと思います。
堂々していられるふるまいを、生き方を、選ぼう。














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