最近、ものごとの順番についてばかり話したり書いたり考えたりしている。
今日は「すべてのことには意味がある」ってやつについて。
ここ数日けっこう(というかかなり)楽しみにそして心構えていた予定があったのだけれど、それが翌日に延期になった。本気で心構えていた予定だっただけに「今日は無理だわ。明日に延期で。」となったときのショックといったらかなりのものだった。そして、そんな(わたしにとっては)おおごとなのに簡単に延期にされてしまうことが、なんだかとても悲しかった。
こういうときに「すべてのことには意味がある」ってフレーズが出てくる。
…んだけど、ショックなこと悲しいことがあったときに「そうだよね!意味があって起きてるんだもんね!」と思い込もうとするのは違うんだよね。それだとバカポジティブに思い込もうとしているだけだあって、本当に「すべてのことに意味がある」を体感できているわけではない。
それは思い込みでその場をしのいでいるだけ。
だから次に同じようなことが起きても、同じように思い込もうとするだけで、いつまで経っても起きる出来事や感情に向き合えない、消化できない。から、毎度同じようにつらくなる。
じゃあなんなのかというと、
「すべてのことには意味がある」っていうのは後付けで体感していけばいい、ということ。
わたしの延期事件はすごくショックだったのだけれど、
「延期で。」と聞いたときは、まず最初に自分の気持ちを感じる。そうしたらすごくショックで悲しかったのだけれど、そのときに「この延期にはどんな意味があるのかな?」なんて考えずに、「えー嫌です。困る」と散々文句と気持ちを伝えた。このときの文句は、わたしは今回の相手が自分の気持ちを伝えたい相手だったからこそ思い切り言ったけれど、誰に対してもなんでも言ったほうが良いよということでもない。
気持ちを伝えるとか正直に話すっていうことはすごくエネルギーを使うし、会って話すのか電話ごしなのかでもトーンは変わるから、自分と相手の距離感や信頼関係を感じながら、「この人にはこの状況でこれを伝えようor伝えなくていいや」を決めたらいい。
相手に伝える伝えないはいずれにしても、自分の気持ちを感じるのがまず最初。
それから、なぜこんな風に感じるのかなーとか自分のことを検証しながら時間が過ぎていくうちに、だんだん気分も持ち直してきたりどうでもよくなってきたり。
この日のわたしはかなり沈んだ気持ちのままゴロゴロしていたら(ショックすぎてゴロゴロしか出来ず)、天気予報が目に入って「そうだ!週末にまた雪予報なら今日は時間が出来ちゃったしタイヤ交換しちゃおうかな」という次の行動が決まった。
そしてどうせでかけるなら、とついでに寄った本屋さんでまさに今読みたい本に出会ったり、欲しいものが買えたり。そうこうしているうちに、別の友人から連絡があって急に誘われたり…。
そして暦をみたら、予定していた日よりも翌日のほうが吉祥な日であることに気付く。
ここまで色んな現象が展開してようやく
「あー。延期になって良かったのね。やはりすべてのものごとには意味があるわ」
が体感として腑に落ちるわけです。
いくら良い言葉や思想を知っていても、体感として腑に落ちないと自分のものにはならない。
知識として知っておくことは大事だけれど、
知ったうえで一度その知識は横において、「体験する」という過程が一番重要。
体験してから「あーこれが噂に聞いていたこれか!」と手を打ったときに自分のものになるんだよ。
そして自分のものになったものは、次に同じような出来事が起きても「やっぱこれにも意味があったな」を体感するまでの時間が短くなっていったり、必要以上のショックに引きずられなくなっていく。
そうやって、心がだんだん成長していく。
最初から、わかったふりのフレーズで思い込もうとしても、心は成長しないよ。
だんだん、なんだから。
やっぱり順番って大事。