言葉に酔わない

今朝もまた「メンター」という言葉を目にしたのだけれど、
このメンター制度ってよくわからん。

 

ナイスタイミングで自分にとって有益な助言をしてくれる人、がいれば、
それでよくない?

なんでいちいち、専門用語というか単語をとりざたすんだろう。

 

そうやって、言葉に焦点をあててしまうと、
その人がしてくれる有益な助言そのものよりも、
その人はわたしにとってメンターであるという「その人の存在」が際立ってしまうと思うの。

助言は、それを聞いて行動するのは自分自身でしかないから、自分の足で歩いてゆくためのひとつの助けだけれど、
メンターと名付けて相手の存在そのものにウェイトがうつった時点で、自分ではなく相手に寄りかかることになるよね。その人がいてこそ自分は歩いていけるんです、的な。

 

ひとに助けてもらったり頼ることは悪いことでなく、むしろありがたく素晴らしいことだけれど、
その人がいないと歩けないというほどの寄りかかりはよくないよ。

自分の人生を自分で進めてゆくことにならないもん。

 

だからさ、その人が自分にとってどんな存在や肩書きかはほんとどうでもいい。
それゆえわたしは、メンター制度がよくわからないんだな。わかろうともしていないんだけど。

 

その人がしてくれる助言や教えてくれることを聞いて、
自分がどう感じるか何を思うのか、そしてそれをもってこれからどう動くかを自分で決めていく。決められるようになる。
それだけなんだよね。

 

良い助言をしてくれる人が居るというのがありがたいことに変わりはないから、感謝したり喜んだりはするんだけど、
メンターとか師匠とか名付けて崇めることはしなくていいの。

 

言葉や肩書きに酔うのはやめよう。

 

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