先日、食事をしながら友人のある相談事を聞いていたら途中で、
「なんでtomokoは日々そんなに楽しそうなの?」と聞かれた。
そのときにぱっと浮かんだのが「だって楽しいことばっかり選んでいるから」という答え。
その場で口をついて出たものけれど、これは本当にそうだと思うよ。
楽しいことを選ぶ→楽しい時間が過ごせる。
すごくフツーで当たり前じゃん。
当たり前なことなのに、それが意外と難しい。
きっと「楽しいことばかりを選ぶ」というのがなかなか難しいんだよね。
それがなぜかを考えると…
まず、楽しいことばかり選ぶというのは、ワガママでいけないことなんじゃないかっていう罪悪感が生まれがちだから。しかし、楽しいことを選ぶのが悪いって誰が決めたんだろう?よく考えると誰もダメだって言っていないし罰せられることもない。つまり勝手に罪悪感を感じてるんだよね。
次に「人生楽ありゃ苦もある」という有名なフレーズがいつのまにか刷り込まれているというのもある。刷り込まれているどころか「楽ありゃ苦もある」が「楽のあとには必ず苦がきますよ。気をつけよ」くらいに置き換わってさえいる。調子に乗ったらコケる、とかもほぼ同じだね。
良いことがあったあとは悪いことが起きる。人生ってそういうものだから調子に乗らずに実直に。というのが正しいといつの間にか思いこんでいる。
そこに「意識が現実を作る」という考えが合わさったらもう大変。
罪悪感 × 良いことのあとには悪いことが起きる × 意識が現実を作る
=楽しいことばかりしていてもどこかうしろめたくて、良いことのあとには悪いことがまじで現実に起きちゃう
わけですよ。
で、「楽のあとには苦が来る」現実を体験しちゃうと、「やっぱりこうなるんだよね。うまくまわってるときこそ調子にのらないようにしよう」とか思うわけ。そしてまた、
罪悪感 × 良いことのあとには悪いことが起きる × 意識が現実を作る
の方程式に戻ってゆく、そのループ。
だいたい、「調子にのるな」というのは、いつもちゃんと地に足をつけておこうねということであって、楽しいことやうまくいってることを喜ぶな、ということではないよね。
「わーい!なんか毎日うまくいってるなー!楽しいなー」と喜びながらも、自分の心身の状態と状況は常に観察しておきましょう、ということ。喜ぶのは素直に、バカみたいに、「わーーい!」と突き抜けてていい。
突き抜けていたら、楽しいことに罪悪感を感じている隙間なんてないはずです。
「楽ありゃ苦もある」というフレーズも、辛いこととか困難な状況に直面したときに「まぁそのうち楽になるときもくるさ」くらいの都合良い解釈をすればいいだけなのに、全く逆に捉えて「楽の次は苦がくるぞ」とおそれを感じてるだけじゃん。勝手に超ネガティブ。
だからさ、まず不要な罪悪感は無しにしたうえで、
楽しい × 楽あってまた楽がくる× 意識が現実を作る
=楽しくて実際になぜかうまく事が運んでしまう現実
で暮らすのがよくない?
わたしはそれが良いです。だから実践したいし、現にしている。今年は特に、抱負でも言っていたようにその実践に力を注いでる。
でもたしかに、この方程式が本当かどうか、実際にこれを使ってうまく暮らしている人を目の当たりにしないと信じられなかったり不安だったりするよね。その気持ちもよくわかる。
逆に、調子にのってコケた人とか、楽のあとに苦がきちゃった人のサンプルはたくさん見たことがあったりするから、そっちのほうが信じるのが簡単だよね。
だからこそわたしは、
楽しい × 楽ばかりきちゃう × 意識が現実を作る
=楽しくて実際になぜかうまく事が運んでしまう現実
の方程式を体現する人で在りたいと思うよ。いままであまり見ることがなかった形のサンプルになります。
わたしが体現してゆくから、その気になったときにはこの方程式を信じたらいいよ。