院内の瞑想ルーム

「大学病院へ行ったらこんなお部屋があったよ!」と、友達が送ってきてくれた写真。

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院内に瞑想ルームがあるらしい。なんかすごい!
時代の流れを感じると同時に、なんだかとっても嬉しくなった。

 

自分ががんサバイバー(体験者さん)むけのヨガクラスを開催したり、
がんクラス向上委員会なるものを立ち上げて、日常的に がん と ヨガ に関わっているから、
各所から様々な声を聞く。

 

いわゆる西洋医学に軸足を置いているドクターの中には、
「ヨガなんてあやしい」とか「科学的な根拠が無い」という意見を言う人ももちろんいる。

ヨガを生業としている人と話をすると、
「ヨガはまだまだ医療界の中では認めてもらえない」という人もいる。

 

西洋医学的なものは科学的な根拠があって信頼に値する、それ以外のものはエビデンスが無いからあやしい…みたいな。

 

たしかにそういう側面もあるし、
過去これまでに、いわゆる代替医療に傾倒して西洋医療的な治療を拒否する人や、それによって治るものも治さなかった人がいたから、
それがトラウマになっていて「代替医療はあやしいもの、効くとはいえない」という人もいるんだということはとっても理解できる。

 

だけど、
では西洋医学的な治療は科学的な根拠があるのかといったら100%そうとはいえないとわたしは思うしし、必ず効く方法があるのかといえばそんなもの無いんだよね。

もしそんな万能なものがあったら(西洋医療でもその他のものでも)、すでに人間の病気そのものが無くなっているはずだもの。

 

だから、どの医療やどの治療が正しいor間違っているなんてことはないし、どのやり方にも優劣もない。

歴史で言ったら、伝承医療のほうが古いはず。
世界中で多くの人が取り入れているのは、もしかしたら民間療法的なものかもしれない。
現代のわたしたちが一般的な常識で納得しやすい科学的な証明が出来るのは、西洋医学。
法律で多くのことが認められているのも西洋医学かな。

 

正しいもの/間違っているもの、
理解しやすいもの/しづらいもの、
納得できるもの/できないもの、は、
「どの観点から観るか」によって決まっていっているだけであって、本質的に正しいも間違っているも優劣もないの。

 

 

これは「ヨガ(やその他の代替医療)は西洋医学界ではまだまだ認められないんです」という話にも同じで、

そういう意見を持っている医療従事者さんと接する機会が多いと、「認めてもらえていない」という印象になるけれど、
お友達が送ってくれた写真を見ると、「瞑想まで取り入れられるようになったなんて、医療の流れも変わってきたのかな」なんて思うわけです。

 

「認められている」わけでも、「認められていない」わけでもない。

どの世界から観ているか、が違うだけ。

 

様々な世界があって、そこでは1つものもの見方すら様々な印象である、ってことがわかっていたら、
自分の見方が絶対正しいんだ!なんてとても言い切れないよね。

わたしはこれがいいと思ってますけど、違う考えもあるんですね、っていうそれしかない。

 

そして様々な世界があるなかでどの世界に身を置くか、どの世界から物をみるか、そこで何をするか、は自分で選べること。

医療とヨガを例にすると、
ヨガはあやしいと思われている世界で、「なかなか認めてもらえない」と嘆くことも、
「良さを知ってもらうようにがんばる!」と努力することも、
わりと理解のある世界で、「医療とヨガで協力出来ることやりましょう」とすすめていくことも、
全部が出来ること。

 

わたしは、わりと理解のある世界でスムーズに事をすすめていきたいから、
そういう世界を見るし、そういう世界に身を置きたいよ。

そう自分で決めているから、
がんサバイバーヨガに関する活動も、理解のある人に巡りあって現在の形になってるの。
院内に瞑想ルームがある病院の情報までやってくる。

 

 

どの世界で何をする?どの世界から物を見る?それは自分で決められるよ。

 

 

 

 

 

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