雨に濡れない

この週末、これまた不思議なことがありまして。
今回やつは不思議レベルが高くて、もう本当にアヤシイとされかねないので、人に言うのもちょっとドキドキなんだけど、
どうしても言いたいから書いちゃう!

 

土曜の夜、雨が降ったときのこと。

ちょうどお友達と銀座あたりにいて、地下から地上外へ出たら外が雨模様だったの。
2人とも傘を持ち合わせていなかったのだけれど、「そこまでだから」と濡れてもいいやと歩き出したら…
なぜか一滴も濡れなかった!

もう、ほんと不思議なんですけど、
まわりの人は傘をさしているし、ビルに雨が打ち付ける音もしずくも確認できるのに、
なぜかわたしたちは濡れない。濡れていない。

わたしたちの頭上のみ、雨ではない空間が広がっているような状態。

「いま雨降ってるよね?」
「濡れていないよね?」
「え?まじで降ってるよね?」
「服濡れてないよね?」
「なにこれ?」

みたいなやりとりをしながら歩くうちに、目的地へ到着。
屋根の下で自分たちの服に何度触れても、ほんとに全く濡れていない。

 

これ、わたし一人での体験だったら「夢なんじゃないの」「ウソなんじゃないの」とも言われかねないのですが、
今回は証人とも言える友人がいますから!笑

 

傘が無かったのに、濡れなくて良かったよ。
という、とってもありがたいラッキーな出来事。

 

 

こういう、不思議なことや既存の常識では考えられないことが起きるからって、
「すごーい」と誉められたいわけではないし、「すごいでしょ!」という話でもありません。
(むしろわたしはそういうノリは好きじゃないからね。スピリチュアル盲信もきらい)

ただ、自分にとって都合よく事が運ぶ(今回だったら、傘が無いのに濡れなかった)のはラッキー!ありがとう神様仏様!というだけの話。

あまりにも都合良く展開すると、「世界はほんとうにうまくできてるなー。すごーい!」とは思う。
けどそれは目に見えない世界スゴい!みたいな、浮き足立った感じではない。

だから、すごい!んだけどすごくない。けど間違いなく都合は良い。

 

 

そして、こういう常識では考えられないことって、
「そんなのありえない」と思っていたら、起きないんだと思います。

今回雨に濡れなかったことも、「気のせいだよね」と理解しようとすれば、気のせいにできてしまう。
「不思議。だけど濡れていない」という、不思議な出来事があるということを認めて、濡れていないことに自信をもったら、それは「現実に起きる不思議なこと」になる。

 

不思議なことや変なことが起きたとき、
人に話しても信じてもらえなかったり、アヤシイと思われたりするから、なかなか言いづらいし、
自分の中で一人で抱えているうちに「気のせいだったのかな」とか思い直してしまいがち。

なぜそのようなことが起きるのかは説明ができないから、起きたことを信じるよりも、
無かったこと気のせいだったことにしたほうが、簡単だしスッキリするんだよね。

 

だけど、
なんだかわからない(からちょっと気持ち悪い)けど確実に起きること、はある。

それを信じられるようになると、不思議な出来事が連発するのだと思います。
無いことにしないから、無いことにならない。つまり出来事として起きちゃう。

そういう不思議なことって、本当はたくさん起きているのに、
ありえないものとして見ないようにしているから、見えていないだけなの。
あるものとして見るようにすると、見えるっていう、ただそれだけ。

 

この「なんだかわからない」部分を解明しようとする人たちもたくさんいる。
それぞれの観点から、物理学とかエネルギーとか科学の力を使って説明してくれる人もいる。

そういう話を聞いたほうが納得しやすいという人は、聞いたらいいよ。

 

わたしは、そもそも説明を聞くのがめんどくさくて(笑)、
聞いて納得するよりも、起きた出来事を信じちゃうほうが楽チン、というタイプなので、
簡単に信じちゃう。

信じちゃうから、不思議なこともフツウにあると思っているから、
こういう出来事が起きちゃうのです。

 

でね、不思議なこともたくさん起きるとだんだん不思議じゃなくなるし、
ミラクルっぽいことも日常的に起きると、それはもうミラクルではなくて、それが日常になっちゃう。

ミラクルがミラクルではなくて日常である、という奇跡。

 

 

 

 

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