数日前「すっごく髪のびましたね!」と、言われることが続きました。
言ってくださる方はみな、一週間前にもお会いしたような人たちばかりなので、
短期間でそんなにのびるはずはないんだけどな…と思っていたけれど。
これはおそらく、「長く見えた」だけの話なんです。
わたしは日々、髪型もメイクも微妙に違っています。
なぜか、というと、ぜんぶその日の気分とその日も目的に合わせたものだから。
髪に関しては、ゆるっと巻いている日もあるし、
しっかり巻いている日もあるし、
そのままストレートな日もあって。
巻いている日をよく見ている人が、ストレートの日に出会うと、
「髪が長く見える」という、それだけの話。
クラスを担当する日は、ヨガの先生っぽいスタイルでいるし、
撮影のある日は、撮影用のヨガスタイルです。
この2つですら、微妙だけれども確実に違う。
食事に行くにしても、行くメンバーや相手・場所・時間にピッタリ合わせて着替えていきたい。
こんなことをしていると、毎日がコスプレという気分になります。
実際に毎日、服もメイクもテイストが違いすぎる。そして、どれが「フツウ」なのかもう自分でもよくわからない。
そんなことを考えつつ、ヴェーダンタ(インド哲学)の古いノートを読み返していたら、
「肉体を着替えるだけのもの、洋服のように」
のようなことが書いてありました。
何年か前のこの自分のメモを見て、とてもスッキリしたし、この言葉の意味が体感としてわかった気がしました。
わたしの本質(いわゆる魂とかアートマといわれる部分)が、普遍のわたし自身であって、
この身体は日々着替えている洋服と同じなんだよね。
そりゃ、肉体よりも洋服のほうが着替えやすいんだけど、
着替えやすいというだけで、どちらもたいして変わらない。
肉体も洋服も、同じようなものですよ。皮膚か布か程度の違い(ちょっと言い過ぎ。笑)。
洋服やメイクを日々、TPOに合わせて変えているように、
いまのこの身体も、いまここ(今世)で生活するのにピッタリな状態で(魂の外側に)装着してきているんだ、
ってわかったのです。
いまの時代にこの世界で体験したいことがあるから、それに合わせた身体を着て来ている、っていうね。
だから、いまの形でいまの人種でいまの見た目で良かったし、
これが今世でやりたいことのために一番似合った形だった、というわけ。
こう考えると、
いまの自分の姿形や肉体の状態(元気とか病弱とか)にとっても納得するし、自信がもてるよ。
髪やメイクの話から、魂と肉体の作りまで飛躍して、
しかしこうして、インド哲学の体感がまた深まりました。