価格の価値

まだまだインドネタですよ。

 

インドでお買い物をするとき、あるいはリキシャに乗るとき。
値段の交渉なしには話がすすみません。

すごく疲れているときや人と話すことが面倒なときは、
交渉という作業が億劫になって、値札のついている日本って素晴らしい!とか思うのだけれど、
やはり店主やドライバーと「ああでもないこうでない」とお買い物をするのは楽しいコミュニケーション。

 

いちいちこんなんなんだもの。SNSを好まないインド人友人の気持ちもわかる。
リアルであれほど人とコミュニケーションしているのに、携帯画面内でもやりとりするなんて面倒になっちゃうってさ。うん、その気持ちよくわかるよ。

 

値段を交渉するということは、
「そのもの、その場にはいかほど払う価値があると自分は感じているのか」をはっきり自覚する必要があるよね。お金を使う、ということにとても意識的になる。

「昨日おなじものを友人がいくらで買ったから」という切り札はあまり使えない。
いや、使えるんだけれどもいくらそう言っても店主が「それはうちの店じゃないでしょ」とか「昨日と今日は違う日だ」とか言ってきたら、交渉にならないんだもの。

結局、「じゃあそこにいくら使う?」を自分のなかで決めなければならない。
「誰かがこう言っていたから」はその場で効く理由になりきらない。誰かのせい、にはできない。

 

こういう国にいると、
定価ってほんとに存在しないのだなーと思います。

 

わたしがいつも5ルピーで乗るリキシャ(リキシャとは、タイのトゥクトゥクみたいなやつ)。
5ルピーで乗れるのは、日中に乗り合いで走っているものをつかまえるとき、ね。
けれども、うっかり日が落ちてから同じルートに乗るときは70ルピーを支払いました。

これをボラれた!なんて憤慨することはない。交渉のうえ100%納得しているので快く払うよ。

日中に全く同じシチュエーションでこの金額だったら、「えー!?無いわ」と文句を言うけれど、
まずこれは日が暮れてから、の出来事だからね。

 

街灯が少なく悪路な道のり。
街を歩いて疲れている。これ以上の交渉をするのも面倒(最初は100ルピーって言われたんだった)。
日中に乗り合いを使ったときにおろされる場所ではなくて、30mほど離れたホテルの最寄りまで行ってほしい。

 

上記の条件にいくら賭けるのか、を自分で判断・納得した額が70ルピー。
日中の14倍!だけど、納得。

 

そこに何の価値があって、それはいくらなのか、を自分で選ぶ。
お互いが納得して決まった額が適正価格です。

 

乗り物や買い物でもいちいちこうなんだもの。
支払いという行動ひとつでも、意識的にならざるをえない。
インドに行くと人生変わる、という人がいるのはそういうところもひとつの側面なのかもしれません。

日本にはすべて値札がついているからね。物の価値を実感することはない。もしかしたら、価格について考えることもないかもしれない。
考えなくても良い国から考える国へ行ったら、そりゃ何かが変わるよね。

 

金額が安ければいいんだ!というわけではない、ということをつくづく感じます。
その価格・価値に自分が納得しているか、が何より大事。

 

 

 

日本へ戻ってからちょうど最近、
宴席へ出席するためのヘアセットの予約をしました。
セットをお願いする場所の候補がいくつかあったなかで、
金額もサービスも微妙に異なりました。なんなら、自宅からの距離もそれぞれ違う。

そのなかで最終的に決めたのは、
すこし自宅から距離があって(しかし時間も許す範囲内)、金額も候補のなかでは一番高いところ。

目に見えやすい条件(数字や時間)だけを見たら、他のほうがお得なのかもしれないけれど、
信頼度やセンスを含めて考えると、価値が一番高いと感じたから。
すべての条件を総合して、一番価値があると感じる選択をしたということ。金額という数字ではなくて、総合的な価値。100%納得です。

 

 

インド帰りだとこういう判断がぱっと出来るようになるなー、と実感します。

 

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