明日はマハーシヴァラトリ

明日はインド暦だと、マハーシヴァラトリというシヴァ神の日です。
シヴァ神を信仰する人々にとって一年で最も吉祥な素晴らしく大切な日。

 

神様がたくさんいるインドのなかでもわたしはシヴァファミリー推しなので(奥様のパルヴァティも息子のガネーシャもみんなだいすき!)、明日はわたしもお祝いをしちゃう!
インド暦って本当にたくさんの神様やそれに関わる祝日やお祝いがあってキリがない。だから、自分が「この日はわたしもお祝いしたいなー」という日を選んで乗っかることにしている。

ほら。最近はSNSのおかげもあって、毎日誰かしらのお誕生日であることがお知らせされたりするけれど、毎日毎日お祝いはしないじゃない?けれども、だいすきな人や特別な人のお誕生日は食事したりパーティーしたりするよね。そういう感じです。

 

マハーシヴァラトリのことを調べていたら、
断食をするとか夜の間眠らない…という情報が出てきた。そうすることで、帰依心を示すというような。
それを読んで、「へぇー。わたしはやらないけどね!」と思いました。だって夜は眠たいし、辛い苦行は嫌だもの。

 

こういうことって、何をするとか何を食べるとか食べないとか、形式だけをやっていても意味がないじゃない。
それをやる意味や目的を理解したうえで、やらざるを得ないことややりたいことだったらやればいいけれど、必要がないなーと思えばやらなければいい。
まず大事なのは、形式を整えることよりも、その本質や目的を理解すること。そのうえで自分の行いを選べばいい。

 

だからといって、形式をまるっと無視していいかといったらそうでもないんだよね。
そういう形式を快くやりたい、あるいは伝統的にやっていくべきだと信じている人々が多い集団の中で、「その形式をやる意味ってそんなにある?大事なのはその気持ちと本質でしょ」なんて言って、そのやり方を壊していいなんてことはない。快くやりたい人たちをわざわざかき乱す必要はないもの。

 

わたしだって「マハーシヴァラトリをインドのシヴァ寺院、あるいはシヴァ信仰している家族のなかで過ごす」と言う状況に身を置いていたら、眠らないし断食をしますよ。
だけど、今いるのは東京。

だから、夜は眠るし食事も通常通りとるけれど、
明日インド寺(日本にもあるの)に行くときは、お供え用の牛乳を持参して、お詣りにふさわしいインド服を着るし、その場ではマントラだって唱える。

 

何をするべきかしないべきか、の正しいこたえなんてないけれど、
その場の本質を理解したうえでその場にふさわしく、その場にいる人やその物事そのものを傷つけることなく、しかし自分にも無理がない状態、というどこにも負担のない形を各々がとることが唯一の正解といえるんじゃないかな。

 

その場、その土地、そこにいる人、そして自分。
その全てを傷つけることなく、そしてどこにも無理がない形をとるの。
そんなの難しい!と思っても、解決の糸口はすごーーーく細いかもしれないけれど必ずあるから、その細すぎる糸口を探すの。

 

インド暦をテーマにしたけれど、
これは昨今の深川やらお祭りやら…諸々の問題にも通じていえること。
もちろん、街のことに限らず、家族関係や友人関係という個人レベルでも同じようにいえること。

 

 

 

 

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