目に見える世界と目に見えない世界

そういえば。先週、親知らずを抜歯しました。
抜歯する前はものすごくビビっていて、腫れたり発熱することがあったらクラスは出来ないだろうから、とあらかじめスタジオもお休みにしていました。
そして満を持して抜歯へ。

 

…と、あんなに大騒ぎしていたのに、
昨日のクラスで「親知らず大丈夫でしたか?」と聞かれるまで、すっかり忘れてた!

それほど無事に抜歯が済んだ、ということです。

 

わたしは本当に歯医者さんが苦手というか怖いから、
親知らずを抜くなんて最高の恐怖…。
昨年から「抜きましょう。いつやる?」と言われていたのに、
やりたくないがために数ヶ月引っ張って、の治療でした。

 

本当はやりたくないけれど(こわいけれど)、
どうしてもやらないといけないのなら…ということで、
数ヶ月逃げたのちいよいよ問題に向き合うことにしたのですね。

まず、
「なぜやりたくないのか?なぜこわいのか?」
を自分の中ではっきりさせる。

それを自分に問いかけた結果出てきたのは、
・痛いのが嫌だ
・血が出るのが嫌だ
・腫れるのが嫌だ
・発熱するらしいのも嫌だ
・上記の事柄が起きて予定が狂うことが嫌だ
・とにかくこわい
という項目。
これらが嫌なのであって、「親知らずを抜く」という行為そのものは別に嫌ではない。というかむしろ、いま治療を受けることで今後親知らずについて考えなくて良い日々がやってくるなら、早く片付けたい。

なにか嫌なことややりたくないことがあるとき。
「あぁもう嫌だ…」と嫌な気持ちの中にのまれて、とにかく嫌だ!ヤダヤダヤダ!と、自分で取りつく島がない状態になっていても、何の解決方法も出てこない。
けれども、「何が嫌なのか」を自分で分析すれば、
その嫌な項目を解決してあげればいいだけだから、嫌なことのやり方、解決方法が見えてくる。
(っていう話はちょうど一年前の記事でも書いていたから参考にどうぞ。一年経ってまたおなじことを考えてるという、この日付の不思議。笑)

 

 

そして、上記の項目を解決できれば親知らず抜歯は乗り切れる!と納得したので、
これらを解決すべくあらゆる手を尽くすことにしました。

まず、出血を最小限にすべく、月の満ち欠けを見て抜歯の日取りを選びました。

月の満ち欠けは人間をはじめ自然に影響を与えるから、それをうまく使うことにしました。「えー月の満ち欠けってそんなに関係ある?」という意見もたまに聞きますけれど、わたしは関係あると思っています。だってさ、海亀だって満月の日に産んでるじゃん!
月が満ちていくときよりも、欠けていくときのほうが、外科手術などにおける出血は少ないのだそう。
だからそのような日にちを選んだの。

痛みとこわいについては、麻酔がちゃんと効けば痛くないはずだ!と考え、麻酔が効きやすい身体の準備をすることに。
身体が緊張していると血管も収縮するから、巡りが悪くなるでしょう?だから、身体が緩んだ状態を作ることにした。そのために身体を冷えないようにして、あとは呼吸法ね。副交感神経を優位にする呼吸を、家でも歯科のユニットの上でもやり続けてみた。

予定が狂うこと、についてはあらかじめ予定を入れないでおくことで回避。抜歯以降数日は完全に空けておく。

あと、以前受けた宇宙マッサージで体感がわかってしまった万能の宇宙エネルギー的なものがあるから、痛みや恐怖がやってきたときには、そのエネルギーに繋がるようにしてみた。

そして、これらのことすべてが効きますように…無事に事が運びますように…と、自宅の神棚に手を合わせてから歯医者さんへ向かう。

 

というフルセット。手を尽くしました。

そしてその結果、
1時間枠の予約で時間がかかると思われていた抜歯はあっさり20分ほどで済んでしまい、
家に戻って麻酔が切れたあとも痛み止めを飲む事もなく、
出血も多くなく、
翌日は柔らかいものから食べられました。翌々日はもう普通食だったし、遠出の外出もできちゃった!
腫れも発熱も無縁でした。

 

 

手を尽くした項目は、
目に見えることから目に見えないことまで。

あらかじめ予定を調整する、というのはとても現実的だけれど、
宇宙のエネルギーに繋がる、なんてとても怪しいでしょう!笑

でもね、自分が良いなと心から思える方法をやってみて、
「うん、良さそう」という体感が感じられるものなら、やったら良いんですよ。
いろんなことをやってみて良い結果が出せるのなら、それでいいじゃないですか。
やってみて、「やっぱりコレは意味なさそう」と感じたらそれはそのときにやめたらいいだけです。

 

「こんなのは怪しいから」と言って取り入れなくて、抜歯をして痛い思いをするのと、
「超怪しいわーでもおもしろそう。効きそう!」と思ってやってみて、抜歯が痛みもなく終えられるの、どっちがいいかな?

わたしは絶対に後者ですけれども。
だから、目に見えることも目に見えないことも両方を遠慮なくやる。
そして抜歯のような大事すら快適に乗り越えられるなら、それがいいです。

 

結果がすべて。

 

そう思っていますよ。

 

 

だからね、
逆に、目に見えない世界がすごい!とも思っていない。
いや、すごいこともあるとは思っているけれど、目に見えない世界の「ほうが」すごい!とは思っていないということ。だからスピリチュアルなことやそっち方面に盲目だったり、傾倒してゆくのもそういう人もとても嫌い。

「このオイルを使ったら幸せになる」とか、
「これをやったら健やかになる」とか、
そういうのを盲信している人もよくいるでしょう。それを取り入れて、本人が本当に自身の望みを叶えて幸せにしているのならいいけれど、
そうは見えない人も事実多いんだよね。(そういう人が多いから、目に見えない世界怪しい!という印象がもたれるんだよ)

実際にそれを取り入れて本当に幸せになったのか、もしくは、
幸せになったと「思い込んでいる」のか、現実を自分でちゃんと見極めなくちゃ。
そこを見極めないと、目に見えるものも目に見えないものも、どっちも効かないよ。

 

 

そして見極めたうえで、実際に現実に、
「うまくいってしまう」「痛みがない」「現象として出来事が起きちゃった」「それで本当に幸せ」
という結果が出たら、もうそれはすべて◎結果がすべて。

 

目に見えない世界もうまく使って、
事が上手く運んでいることが実際に目に見えてしまったら、
それがいいじゃないですか。

 

そういう意味で、
目に見えないことも堂々と!と思っています。
堂々とするからには、目に見える結果も出してゆきますよ。

 

 

 

 

 

 

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