どうせ良いようにしかならない

先日、このコラムを読んでくれているという人から、
「最近けっこう定期的に更新してくれてますよね。楽しみにしてますよ」
とうれしいお言葉をいただいたばかりなのに…
気づけばまた間があいてしまうという、この体たらく。

 

ここしばらく、特に2〜3週の間、
色々な出来事が起きすぎて、とりあえず目の前の現実世界の対応で手一杯でした。

ネタとしか思えないような出来事が連発して、さすがに一人では抱えきれない(話したくてしょうがない)から、信頼しているだいすきな友達といちいちメッセージしていたのだけれど、
そこで交わすコメントがほぼ、
「もう、どうかしてる」
「ほんとうにやばい」
「ありえない」
「笑うしかない」
のどれか。苦笑
語彙が少なすぎるしすごく馬鹿っぽいのだけれど、そうとしか言えないネタばかりだったということです。

 

そんな日々に輪をかけて、「は?」という出来事が起きたある日。
これは誰かに話したい!聞いてもらいたい!呑みにでもいこう!と思いつきました。
それなのにだいすきなこの友人は会食の予定があると言うし、他の友人や信頼できる人もことごとく予定有だと言う。

ふと思いついた事はだいたい叶う現実になるというのがもうわたしのデフォルトなのに、
誰かに会いたいときに一人もつかまらないなんて、珍しいことなのですよ。

しかし、みーんな予定があるというのはもうやむを得ないことだから、
「これはどういうことなんだ?」とモヤモヤしつつも、
やりたかった手仕事をすることにして、食べたかったヤムウンセンを作って、おうちで一杯やって気持ちよく眠ることにしました。
翌朝は夜外出しなかったぶん早くに目が覚めたから、プラクティス(ヨガ)に取り組む時間ができました。

そしてHALASANA(鋤のポーズ)をしていたら!

前日の「は?」という出来事と、ここ最近の一連の出来事につながる答えが、
ふと降りてきた◎
降りてきたというか、ひらめいたというか。「あーなるほどね。そういうことか」がわかってしまって、自分の動き方も自ずと見えた感じ。

 

そしてこのときに、前日に誰も予定が合わなかったことも「そういうことか」と腑に落ちたのです。

もし誰かと予定が合って外出していたら、早起きすることもなくじっくりプラクティスをすることもなかったかもしれません。プラクティスの時間がなかったら、ここまでの答えと解決案は降って来なかったかもしれない。

だから、今回の場合「誰も予定が合わない」がわたしにとって大正解だったのです。大正解というか、それが進むべき方向、起こるべき出来事だったということ。

 

たしかに前日、誰とも予定が合わないとわかったときは、
寂しかったし、モヤモヤもしたし、「このところうまく運ぶはずなのになんでー?」とも思いましたよ。
でも翌朝になってみたら「あぁ、この流れでよかったのですね」とわかる。

 

こちら人間の感情や予定や期待通りの展開ではないかもしれないけれど、
結果は必ず「良いように」おさまるんだよね。こちらの期待には反しても、進むべき方向へ進めてくれている。
なのに、こちらの期待通りの展開ではないから、文句を言ったりがっかりする(のが人間)。

 

もうね、どうせ良いように進んでいるのだから、
勝手に立てる予定や期待なんて無くしておいたらいいですよ。
だって、どうせ良いようにしかならないもの。
そういう心づもりで宇宙というか流れを信頼しておまかせ!そこに乗っかってゆく!のが最善です◎

 

 

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