正直が最強であることをまた証明した話

この前、
やっぱり「正直であることが一番強くて現実も動かす」
ということを実感、確認する出来事が起きました。

 

それに関わる人みんなで話し合って「ではこれをやりましょう。これはやめましょう」と決めたことがあったのだけれど、
当日になってみたら、やらないと決めたはずのことが行われていたのですね。
しかもそれが、話し合いに参加していた人の目の届かないところで。
目は届いていないけれど、映像があるし何も知らぬ他の参加者さんから「こんな内容をやっていましたよ」というご報告があったから、すぐにバレちゃった!発覚しちゃった!ということが。

 

この件でわたしの立ち位置は「話し合いには参加していたけれど、当日その場にはいなかった人」なのだけれど、
みんなで決めていたことを、「どうせ参加しないから。見えないからバレないでしょ」というノリでやっしゃったというごまかしが許せん!ということで怒ったわけです。
話し合いで決めたどころか、つい2週間ほど前にも「あれはやってこれはやらないのだよね?」と確認していて、「そうです。やりません」とのお返事をいただいていたのだけれど、当日は違ったのだよね。…ということは、2週間前の発言もウソじゃんね。

 

そしてこの当日に、なるべく先方が落ち着いてメッセージを読めるであろう時間を考慮してメールをしたのです。「やっぱり今日のことはおかしいと感じています」と。けれども、既読はつけどもお返事は来ず。
翌日に電話もかけたのだけれど、繋がらないしコールバックも無い。

この状況だと「あーこれは逃げてるな」と思うよね。そしてその気持ちもわからなくはないけれど、
やはり筋の通らぬものは通らない。そして、気持ちがわかるからといって、おかしいことをごまかすこともわたしはできません。

だから「直接話したいなー」と思っていたのだけれど、なんせ電話もメールも繋がらない。なす術なし、な状況だったのです。

 

 

そしてその日、わたしのところに友人が遊びにきていました。
前日当日のそのような、おさまりの悪い気分をリフレッシュさせてくれるかのようなタイミングで遊びにきた友人たち。楽しい時間を過ごして、そろそろ帰ろうかなーという時間。
わたしもお散歩がてら駅まで一緒に行って見送りすることにしました。

「わたしも行くよー」と言って出発したのだけれど、ちょうど半分くらいまで歩いたところで、
「こんな家着みたいな格好で出てきちゃったし、やっぱり駅までは行かない!戻る!道はわかるでしょ?みんな気をつけて帰ってね」と、なんとまぁ無責任にひとり途中で引き返してきたのです。

このときなんだか「戻りたい」気がしたんだよね。

 

 

で、来た道をひとりで引き返してひとつめの交差点で横断歩道の赤信号待ちをしていたら…

 

向かいの車線で信号待ちをしている車が。
「あれ?あの車見覚えあるけど?ナンバーは…」
と確認したら、なんと!メールも電話も繋がらない本人の車だったのです!

 

ものすごい偶然。ものすごいタイミング。

 

で、当然車道に飛び出して、その車を捕まえましたよ(笑)
「そこ停めて窓開けなさいよ!」ですよ(こう文字にするとガラ悪いなー笑。これでも一応ヨガ教師ですけれど笑)

で、そこから言いたいこと話したいことをちゃんと伝えたわけですよ。

 

「なんでやらないと決めたはずのことをやったのか?」というわたしの素朴な疑問に、
「見てないところだからやっちゃえばいいやーという気持ちだった」と答えが返ってきたのだけれど。

 

いやいや、そういうのは絶対にバレるんだってば!
現にバレてるじゃん!
正直であるとミラクルが起きるし、ごまかしやウソはつまりと歪みをうむよ、ってこのコラムでもひたすら書いているし、おそらくそれは宇宙というか世界というかの真理なんだってば!

 

でね、怒りを通り越したら、「やっぱりそういうことか」と改めて納得したのですよ。

 

まず、
★ウソやごまかしは必ず現実に露呈してしまう。

これは絶対そう。現に今回もすぐにバレてる(笑)

 

そして、
★satya(正直であること)とahimsa(自分も相手も傷つけないこと)を実践すると、奇跡のようにみえる完璧な現実事象が起きる。

 

自分がおかしいなと感じる納得できないことが起きたとき、それを無いことにしない。おめでたい席だから!とかソレっぽい理由をつけて大目に見ることもしない。だって、大目に見た時点で「おかしいと感じた自分にウソをつくこと」になってしまうもの。(satya-正直の実践その1)

そして、相手に伝えたいことなのか伝えたくないことなのか。も自分の中で正直に判断する。人に何かを伝えるということは、その意見が相手と対立するようなものであるときは特に、自分のエネルギーを費やすことだから、それでも伝えたいことかどうかを見極める。(satya-正直の実践その2)

伝えると決めたら、善きタイミングをはかる。今回わたしは、相手のその日の予定を予測して携帯を手にしていないであろう時間を狙ってメッセージをしたの。次に携帯を見るときはおそらく、一日の終わり、全ての予定が終了するときだろうな、というタイミングで。そうしたら、メッセージを見て相手がどのような気分になろうと一日の予定には支障が出ないでしょう。(ahimsa-傷つけない、の実践その1)

文面は「ふざけんな!このやろう!」なんてことはなく、できるかぎり落ち着いて理論的に。(ahimsa-傷つけない、の実践その2)

「それを伝えること自体、相手を傷つけることになるんじゃないの?相手の気持ちを考えたらそもそもメッセージをしないほうがよかったのではないか?」という意見もあるかもしれないけれど、それは違う。もし相手の気持ちを考えたつもりで、自分の意見を我慢することにしたら、自分に対してのsatyaもahimsaが守れないでしょ。(satya-正直 ahimsa-傷つけない の実践その3)

で、例えば電話もメールも繋がらないからといって、
相手の家や居場所に乗り込んでゆくのもチガウよね。そうやって不要向こうに乗り込むことは、こちらのエゴ(なんで電話に出ないの?イライラ…!という自分のエゴ)の押し付けなので、ともすると相手も自分もを傷つけることになるからね。

そして、友人を駅まで送る!と自ら宣言したわりに、「なんかその気になったから」途中で戻って来たこと。これは自分の勘というか気持ちに正直であったこと(satya-正直の実践その4)。「行くって約束したから途中で引き返すなんて申し訳ない」なんて思考に惑わされぬように。
だいたい、みんな駅までの道も知っているしその友人たちは複数人でいるから、わたしがひとり引き返して来ても誰も迷惑しないもん(ということはつまり自然とahimsa-傷つけない、も実践してる)。

 

 

というわけで、これらの積み重なりが、
ものすごいタイミングで!話をしたい相手に!ちゃんと出会ってしまう。
というミラクルを引き起こしたわけです。

 

なんとなく引き返して来たら、そこの信号待ちのタイミングで話したいと思っていた相手の車が来る、なんて。絶妙すぎるでしょ!そんなことある?

 

 

 

やっぱり正直であることが一番強い。現実もこう動いてしまう。
そして、うそをついてもごまかしても、逃げきれないんだよ。

こうやって事象が証明してくれていますから。

 

 

さぁ、今日も正直に正々堂々といきましょう!

 

 

 

 

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