やっぱり完璧だった

ある人にとっても会いたくなったのでお誘いしてみました。

普段から「世界は完璧にできている」を信じている&唱えているわたしなので、
当然タイミング良く、この人と予定がばっちり合ってお出かけできる♪という流れだと思うでしょ?

 

…違いますよ。
今回は予定が合わなかったの。

 

でね、「世界は完璧なはずなのになぜだ?!」と腑に落ちぬまま、
「つまんなーい!」「わたしの予定に合わない人なんて要らない!(←なんという身勝手。笑)」とひととおり拗ねて(拗ねてたけれど、それは自分だけでね。相手や周りに八つ当たりはしないよ!)、
ひととおりゴキゲンナナメをやり倒していたら、そのうちなんだかどうでもよくなっていきました。

 

そしてその当日。
そういうわけで、予定が無いために時間があって、
「時間があるからあの店に寄ってみようかなー」とふと思いついたところに寄ったのです。
普段はなかなか寄らないような時間帯、タイミングだったので、わたしにしては珍しい行動だったのだけれど、なんとなく思いついたから。

そして案の定、「こんなタイミングで来るなんて珍しい!」なんて言われながらも他愛もない話をしていたら、話の流れの中で、
わたしがここしばらく疑問に思っていて気になっていたことが解決されました◎

本当にくだらないのだけれど、わざわざ聞くほどでもない、一生懸命解決しなきゃならないような案件でもない、こと。聞くほどでもないから誰にも聞けなかったけれど、自分のなかで地味にずっと気になっていたこと。
その「なんで?」が他愛もない話のなかでこたえが出た。

そしてものすごくスッキリしたこのときに、
「あー今日はそういうことか!」と腑に落ちたのですよ。

 

予定が合わなかったからこそ、時間が出来て、
その余白の時間でお店に寄ったからこそ、
しばらく気になっていたことが解決した。

やっぱり、「今回は予定が合わない」というシナリオで完璧だった、というわけです。
やっぱり、世界は完璧に出来ている。

 

 

こういう体験を積み重ねて、
完璧な世界への信頼が濃くなってゆくのです。

 

最初から、信頼しきれるわけじゃないよ。
どんなに「世界は完璧だ」と頭で理解しようとしたり、思い込もうと努力しようとしても、それは無理だよ。
頭で理解できていても、肚から納得できていなければ、それは信頼ではないから、
もっと大きな出来事や自分が大切にしたい場面に直面したときに、
不安や心配が生まれますよ。

 

そういう、一見うまくいかないことや、不安や心配になる出来事に直面しながらも、そこから逃げることなく、
「これで良かったんだよね♡世界は完璧なんだから」なんて思考をごまかそうと思い込もうせずに(←ここ、とてもとても大事ですよ!)、
ひととおり不安を感じつつ、ひととおりゴキゲンナナメになりつつ、
それに飽きてどうでもよくなったら、そのときに自分がやりたいこと、進みたい方へ進んでみる。
そして起きた出来事を振り返ってみると、「あれ!?これで良かったんだね!」ということがあるの。その、「これで良かった!」を感じられときにはじめて、
世界への信頼が生まれるのですよ。そして世界は完璧だ!と腑に落として言える。
だから、出来事を体験することが大事なの。やってみない限りわからない。

その体験の回数が増えれば増えるほど、
世界への信頼ポイントのようなものが溜まって、
ポイントが溜まれば溜まるほど、世界への信頼が深まるから、
だんだん安心しかできなくなるし、そうなるとやっぱり完璧な出来事しか起こらないということがわかる。…という完璧な世界の無限ループ。こうして完璧な世界の住人になる。

 

 

っていうか、完璧な出来事しか起きていない、ということに「気がつく」だけの話なんだけどね。いま起きていることだって、全部完璧なの。
でも、自分が想像していたことと違うことが起きると、「わたしが思い描いていたのはこれじゃない!」と言って、思うようになっていないような「気がする」というだけ。

わたしだって、この日に相手と予定が合わなかったときに「思ってたことと違う!」と言ってうまくいかないような気がしたけれど、
実際に事が展開したら、やっぱりこれで良かったんだわ、と「気がついた」だけだもの。

 

そういうわけで、世界はいつも完全完璧にまわっているという出来事にどんどん気がついて、
完璧だ!という体験の回数を重ねて、信頼ポイントを溜めよう。

そうしたら、やっぱり世界は完璧◎としか思えなくなるのですよ。

 

 

 

 

 

 

 

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