誰かに相談をするとき

めずらしくとても悩む案件が発生した。
先日、興味本位だけで受けた「こえ占い」で会って一言めに、
「迷いがないのねー」と言われたばかりだったのに!まさかの悩み事が発生。

 

簡単にいうと、オファーのきている仕事を受けるか受けないかという事なのだけれど、
その過程や内容が一筋縄ではいっていないので、どうしていいかわからなくなっちゃった!
ついでに「腹たつわ!」とか、わたしの感情も動いているものだから、ますますどうするのが良いのかわからなくなっちゃった!

自分の本質に従えばいいよ、が正解ですけれども、
怒ったり悲しかったりという表層の感情が動いていると、本質が何を言っているかキャッチできなくなっちゃうんだよね。だから、悩む。

 

どうしようもなくなったので、友人たちに相談してみることにしました。
誰かに何かを相談するとき、かえってくるこたえはその人(相談した相手)の私情だからね、それが正しい、ということではないよ。
誰かが言った何か、にただただ従ってしまうのは、一見楽チンなのだけれど、
自分で決めたことではないから、やっぱりうまくいかなかったときや更に困る展開になったときに、また自分がすごく嫌な気分になっちゃう。

だから、人に相談をするときは、
その人の意見を聞いて、それはその人の意見であるということを理解したうえで、
「そういう意見を聞いたけれど自分はどう感じるのかな、考えるかな」と自分を観察して決断することが大事。
その「自分はどう感じるかな」をするための、リトマス試験紙のような役割を、相談相手にになってもらうの。

 

だとしたら、そのリトマス紙はいろんな種類があったほうがいいじゃない?
いろんなサンプルがあれば、より細かく精査できるもの。
青と赤、の2種類しかなかったら、「赤がいいな」は感じられるけれど、
濃い青、水色、濃い赤、ピンクの4種類あれば「ピンクがいい」が感じられる、選べる。
ピンクと赤はイコールではないからね、細かい選択肢があるからこそより明確に、これがいい!と感じられるピンク。

 

というわけで、まったく異なる人たちに相談したのです。
自営業/経営者/会社員
日本人/インド人/日本在住/インド在住/
インド人の中でも、ヒンドゥー教/シーク教/イスラム教のみなさんそれぞれに。

文化も背景も思想も異なる友人たちに同じ話を投げて、「自分だったらどう?」を聞いた。
(たった一晩の間に、これだけのみんなが話を聞いてくれたことがありがたさに気がついたら、だんだん腹を立ててた現実問題がどうでもよくなってきた、という特典もあったのだけれど)

そしたらね、やっぱり色んな考え方とか「自分だったらこうするよ」という意見が出てきました。わたしだったら思いもつかないような考え方も出てきた!「そういう解釈もあるのか!」と、驚き。

そして出てくる意見に、
驚いたり、賛同したり、「それは無理。絶対に嫌」とクレームしたり(相談をしているのはこっちくせにクレームとか…笑。それをまた聞いてくれる友人には本当に感謝ですよ)、色々色々感じているうちに、
「あぁ。わたしはこれが嫌でここは守りたいんだな。だから、こうしたらいいや」
という自分の中の結論が見えたのです。

 

はい、悩み事解決◎
(やっぱり「迷いはない」のかもしれない。こえ占いは当たっているのかもしれない。笑)

 

似た人たちの中で悩んでいても、「そんな考えもあるのか!」という斬新なアイディアは出てこないけれど、
まったく違う環境の人に聞いてみると、まさかの考え方や解決方が生まれることは多いのだよね。
同じような環境にいると、その中での平均がいわゆる「ふつう」とされるから、「ふつう」から飛び出た意見は出づらいし、またそこからはみ出すのも怖かったりするし。

でも、「ふつう」なんてもんが無くなると、「じゃあどうする?」の解決策がもっと自由に柔軟に生まれてくる。

 

やっぱり、日本人だけでなく、インド人のいろんな友人もいてよかったなーとつくづく思った晩でした。

 

というわけで。今年もインドツアーも開催します。また行くよ!
「ふつう」なんていう概念の無くなるあの国へ。「ふつう」なんて無くなっちゃって、もっと自由に柔軟に生きてゆきましょうよ。

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