インドで pay it forward を体験した話 ②

こちらのインドで pay it forward を体験した話① の続きです。

 

サドゥーからチャイをごちそうになった翌日。

なんとなく荷物を整理していたら、行きに成田空港でなぜか購入したTOPPO(お菓子)がありました。
TOPPOなんて、何年ぶりに買う?というくらい久々だったのだけれど、成田空港でなぜか無性に買いたくなって購入したやつ。
しかし結局食べきることなく、そのまま持っていても移動の際に崩れてしまいそうだったので、
なんとなくそれをバッグに入れて、リシケシの街へ遊びに出ました。
すると前日少年に会ったガンジス河沿のあたりで、小さい女の子たちに声をかけられました。

「あなた、クルディープの友達でしょう?今日彼は学校で居残りしていたからまだ来ないよー」って。

どうやらあのアイス少年のお友達の女の子たち。6−7歳くらいの子が3人と、そのうちの誰かの妹とみられる3歳くらいの子。前日、少年がアイスを買ってもらったことを自慢したらしい。

その場だと日中で陽射しが厳しいので、屋根のある小さなお寺に腰掛けることにしました。
そして「名前はなんていうの?」なんて聞かれながら、日本の歌を教えて、とか、写真見せて、とかわいわいしているうちに、ちょうどiPhoneに保存していたこの夏に撮影した日本の花火の動画で大盛り上がりし始めました。
「きれいねー!」と嬉しそうな女の子たち。その横で3歳くらいの妹ちゃんは新聞紙に包んだチャパティを食べていました。
「何を食べてるの?」と聞いたら「ランチ」って。カレーもおかずもなく、新聞に包んだチャパティを食べていました。そしてチャパティの次に出てきたのはポテトチップス。これがおかずの予定だったみたい。
生活の状況が見えるなぁ…でも学校には行けているんだな…なんて色々と考えていたらね、
その3歳くらいの女の子がおもむろに開封したポテトチップスを「はい、食べて」って、わたしの口に運んでくれるのです。
「いいよ、あなたのランチだからちゃんと食べな!」と言うわたしに、
「きれいな花火一緒に見るから。チップスも一緒に食べる」って…。

そして、どんなにわたしが「ちゃんと食べなよ」と言っても聞かないので、
一緒にポテトチップスをいただくことにしました。

そのときにふと、思い出したの。「そうだ!わたし、TOPPO持ってる」って!
そして、「チョコレートとビスケット好き?日本のお菓子食べる?」と聞いたら、女の子たちみんなが満面の笑みで「食べるー!!」って。嬉しそう。
そしてバッグからTOPPOを出して渡したら、「じゃあ、チップスはあなたが全部持って帰ってね!」と丸々一袋くれようとしてくれます。

でもね、こんな子どもたちからお菓子なんてもらえないじゃない?みんなで食べなよ!って思ってしまう30代の日本人のおねえさんなわたし。

「いいよ!チョコもチップスもみんなで食べなよ」と言うわたしに、
「インドのお菓子はあなたは日本では買えないでしょう。だから持って行って。わたしたちはインドで買えない日本のお菓子をもらうよ」なんて言うのです。

そんなやりとりの末、結局この子どもたちからポテトチップスを一袋もらうことになりました。
わたしがあげたTOPPOはみんなで半分くらいまで食べたところで、「残りの半分はクルディープ(アイス少年)が来たらあげる!」と言って、女の子のうちの一人が花かご(この子たちも学校が終わったら観光客向けにお花を売ってる)の底にしまっていました。

 

観光客に向けてお花を売っているような子どもたち。その子たちから、ポテトチップスをもらってしまった日本人のわたし。
普通に考えたら、立場は逆なはずでしょう。観光客がお菓子を買ってあげたり、お花を買ってあげたり、そのお花代をすこし多くとられたりすることの方が多いはず。
なのに、逆にポテトチップスを一袋もらってしまったの。

ありえないでしょう?

 

pay it forward を体験した話① でも書いたけれど、立場とかお金をたくさん持っている持っていない、は関係ないのですよ。キレイな花火や珍しい日本のお菓子がうれしいから、楽しいから、
わたしたちもこれをあげる、っていう。うれしいや楽しいという喜びをお互いに循環させているだけ。
その循環に、いま自分が持っているものを介しているだけ。持っていないもの、あるいは持ち合わせていないお金を介すことはなくて、お互い自分が持っているものを介しただけの、よろこびのやりとり。

まさしく pay it forward です。

 

帰国後、この話を友人としていて気がついたけれど、
最初にこの女の子に話しかけられたとき、わたしのなかに「またお花買ってって言われるかな」とか「アイスおねだりされるのかな」なんて疑いが1ミリも起きなかったのもポイントだと思います。
この話を聞いてくれた友人は「普通その状況で話かけられたら何か買って、って言われると思って警戒しない?」とコメントしてくれたのだけれど、そんな風に突っ込まれるまで、わたしのなかにそんな意識が全くなかった。そう言われるまで気がつかないほどに。
たしかに、状況やインドという場面を考えると、そう警戒する方が自然なのかもしれません。

でも、わたしにはそんな気持ちが全く起きませんでした。ただただ「あの少年の友達なのね」という気持ちだけ。
その警戒しない、疑わない、というフラットな状態も良かったのでしょう。
まさしく、心配も疑いもなく今そこにいるという状態だけだったから、然るべき完全な展開だけがやって来たの。成田空港でも、何も考えずに今そこにいるという状態だったから、ふとTOPPOを買うという気分がおりて来たんだよ。そしてそのTOPPOがちゃんとこの話の敷石として最初から準備されてた。

意識は世界に反映しますから、
疑う気持ちや警戒する意識でいっぱいだと、その後の展開も「案の定」といった具合になにかをおねだりされたり、買ってーと言われることになったかもしれません。

しかしこの通り。全然そんなこと起きませんでした。

 

花火を見せて、
ポテトチップスをもらって、
TOPPOをあげて、
途中までお見送りしてもらって、帰りました。

 

子どもたちと別れた後、
この一連の流れがうれしくて、そして子どもたちがかわいすぎて、涙が出ました。うれし泣き。

立場も年齢もこんなに違うのに、こんなに「うれしい」や「楽しい」というよろこびの気持ちだけで交流ができるなんて。とても幸せなことじゃないですか。

 

逆にね、こんなに立場も年齢も国籍もが違っても、このような気持ちと物質の交流ができるのだからね、
もっと生活も近くて国籍もおなじ日本人同士だったら、もっと簡単にこのような交流ができるんじゃないかな?と思うのです。

日本の現代の社会はどうしても、決まった額のお金や価値に思考が固定されてしまっているから、
よろこびをお金で表現するとしたらいくら使いたいのか、物質で表現するとしたら何をあげたいか、なんて考えたこともないでしょう?この「定価」という思考のとらわれを外したら、もっと自由に表現ができる、これまでとは違う形でよろこびを表現できる。

そしてそのよろこびの循環は、とても楽しくて、
結局必要な人のところへ必要な物がやって来る、という、
完全で豊かな世界なはずなんです。

インドの数日で起きた出来事がこれ。そしてこれを体験して、pay it forward の世界は絵空事ではないんだとわかりました。「そんなうまい話はない」と思い込んでるから、うまくいかなさそうに感じるだけ。
実際にこの数日でも、お花、アイス、チャイ、花火動画、ポテトチップス、TOPPO、が循環して、そこに関わる人みんなが笑顔で「バイバイ」して終わっているのです。
実際に出来ている、起きた出来事。

 

 

この循環にすっかりハマってしまいました。だって、おもしろくて幸せで気持ちがいいんですよ。
斬新かもしれないけれど、この豊かな循環を体現していきたいと考えています。

それでまわる世界もあるんだから。それを証明してみたい。

 

 

 

 

 

 

 

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