やりたいことがわからないときに

寒い季節がやってきたらしい…
病後、「寒い問題」があるわたしとしては、寒さがじわじわ迫ってくることが地味にこわいです。かまえすぎて今シーズン用のシルク×ウールレギンスとか、噂のレッグウォーマーとかをこのところ続々と買い込んでいます。

台風一過の昨日があたたかかったから、それで油断していたところへ、今日みたいな「いつもどおり寒い」という日がくるとたちまちダメなんですよ。
本日の午前中はいつの間にか横になっていました。「寒い問題」というのはこういうことでね、冷えると急にたちどころに動けなくなってしまうのです。

 

「今日はやることがあるのになぁ」
「今日中には絶対に銀行だけは行かないと」
と頭では考えつつも、身体が絶対に動けません。それがとてももどかしい。

 

「寒い問題」がなくても、こういうことってよくあるよね。

頭では「やらないといけない」と考えているのに、身体が動かないこと。心がついてこないこと。
これと似たことで、「やりたいことがわからない」というときもある。
現代社会では「活動的であることが良しとされている」と思い込んでいる部分が大きいし、
立派なことやステキなことをしている人は輝いて見えるし。
そういう人を見ると影響を受けて、つい自分も「なにかやりたいこと、やるべきことをばりばりやりたい!活動したい!」とか思っちゃうの。
それが「良い影響として」自分のモチベーションになる場合はそれで良いけれど、「わたしもなにかやらないといけない」という焦りやなにかをやっていないと自分の存在意義が見出せないようになってくるとだめだよね、それは「不要な影響」です。

なにかやりたいことをやりたい!のに、それがなにかわからないとき。

 

それは「なにもやりたくないとき」である場合が多いです。
現代人、都会に住んでいる人はとくに、
仕事も遊びも人間関係もたいがい忙しい。忙しいことに慣れてしまっているから、予定が無い方が不安という人も、ふと時間が空くとなにをして良いかわからないという人さえいる。
そういう時間を過ごしていると、身体も思考も心もそりゃ疲れますよ。どんなに心身を調えるすべを知っていても、ケアしていても、好きなことだけをしていたとしても、物理的に疲労はするから!

そして疲れていたら「休みたい」んですよ。
(ものすごく当たり前のことしか書いてないけど、こんなに当たり前のことをすぐに忘れるのが人間だからね。本当に。)

そうやって日々に疲労しているときに、「なにかやりたいこと」は思い浮かぶわけありません。

だから、そういうときにやるのはね「なにもやらない」ということ。
そういうときの自分は「なにもやらない」ということをやりたい、のです。

やりたいことを探すという場合、
どこかへ行くとか、誰かと会うとか、何かを作るとか、何かを買うとか、そういう「行動するなにか」ばかりに目を向けるけれど、
「行動しない」ということもやりたいことの選択肢のうちのひとつですよ。

 

なにもしないこと、休むこと、って現代人は本当に苦手で(そうやって家でゆっくりしよう、と決意しつつもインターネットやSNSで立派に見える活動をしている人を見ると焦るんだよね。で、「わたしもなにかしなきゃ」「休んでる場合じゃないな」「時間がもったいない」とか考えちゃう流れでしょ。笑)、
「こんなにダラダラした時間を過ごしていていいのかな」とか思い始めるんだけど、

「休んでいていいのかな、大丈夫かな」とどきどき焦りながら休んでいる時点で、それは休めていないから!気をつけて。ダラダラした態度に見えつつも、思考も心も焦りで忙しくなっちゃってる。
どうせ休むなら、しっかり休もう。身体も思考も心も、すべて休もう。
「焦りながら休んでも、それが一番無駄だわ。この時間は自分充電」を決めて開き直って、心置きなく休むのが良いですよ。

 

そうやって、身体も思考も心もちゃんと休むことができて、
「なにもしない」を満足にやりきったら、
その次に「これがやりたい!」が自然に発生しますから。

 

そう、順番があるんだよ。

最初から「やりたいなにか」がわからない場合は、
本心で一番やりたいと感じている「なにもやりたくない(休みたい)」をちゃんとやったあとに、
「やりたいなにか」がやってくるの。

 

 

「なにもやりたくない」が一日二日ではなくて、しばらく続く場合。
そうなるとまた焦り出すけれど、ずっと、何年という単位で動き続けてきた人の心身を充電するには、充電期間だって長く必要な場合がありますよ。一日二日で急速充電しきれない、そういうこともある。
ここでまた焦るとね、休んでいるのに思考と心が焦りで忙しい状態、という休んでいるのに休めていない状態になって、充電にさらなる時間を要しますから、
「まだ時間かかるのかぁ」と早々に諦めて、引き続き「なにもしたくない」をしていたらいいですよ。

どうせ、一生そのままなんてことはないから。本気で「なにもしたくない」をやって本気で休んでいたら、本気でその状況に飽きるときがくるから。

そのときが充電完了。また「行動したいなにか」がやってきます、自然と。

 

 

「行動するなにか」がしたいのか、「行動しないこと」がしたいのか、
どちらのときも当たり前にあります。どちらが優れていてどちらが劣っているということではありません。どちらも並列。

いまの自分はどっちがやりたい?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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