神様のご利益

最近、神主さんから神道のことを教えていただく勉強会に参加しています。

わたしは特に神道を信仰しているというわけではないけれど、
神社のおまいりや神話はだいすきだし、夏はお神輿だって担いでいる。
といいつつも、お墓まいりも現代人のわりにはよく行くほうだし、
インドにいたらヒンドゥー教寺院でずっと話しこんでいます。
シーク教の聖地のお寺では、キッチンで奉仕活動もします。

こういうわけで、特定のなにかを信仰してはいないけれど、
どれにも共通してある本質的な大いなるなにかは信じています。
大いなるなにかは共通しているものだから、その表現が日本神様でも仏様でもヒンドゥー神様でもグルナーナクでもいいの。そこはもう好みで良いと思ってる。そしてその好みなんて「シヴァかっこいい!」というような、そういう気軽さで良いと思っています。

 

様々な宗派、国の神話を読んでいると、
神様とされている人たちも意外と人間っぽいところがあったり、完璧ではない、ということに気がつきます。

わたしたち人間は神様とは住んでいる世界が全く違って、神様はものすごく崇高な天上界にいて、
人間なんて到底及びません…!のような印象やそういう信仰も持ってしてしまいがちだけれど、
意外と「あれ?人間と変わらないじゃん」というところもある。

 

弟(スサノヲ)が暴れたことにへそを曲げて引きこもっちゃったアマテラスとか(天の岩戸のお話)、
怒って倒した悪魔の血を飲んだら酔っ払ってしまって、酔った勢いでしているダンスが止まらなくて、誰にも止められないから旦那さん(シヴァ)が目の前に横たわったところ、旦那を踏みつけてしまってようやくはっと我にかえったカーリーとか、
美しい奥さん(サラスワティ)のことをずっと見ていたいから5面の顔を持つことにしたブラフマーとか。

共感できるところがたくさんある。人間が普通に持ってしまう欲や想いを神様だって備えている。
このようなお話を知らないと、神話も神様は遠い存在に感じがちだけれど、
知ってみるとさほど遠い世界の話には感じなくなるのよね。

 

 

「なんだー神様にもこういうところがあるのか。人間と意外と似たところあるね」と共感する気持ちが生まれるときというのは、
人間の中に備わっている神性が神話を通して引き出されていることなのではないかと思います。
わたしたち人間ひとりひとりの中には、神様とおなじような純粋な質が必ずあるのだけれど、
日々の生活や人間社会のアレコレに対応していくなかで、その純粋な質が曇ってきてしまう(ヨガの哲学の中では「純粋な質の外側に膜が重なってゆく、そして曇ってゆく」という表現をよくします)。
この曇った状態がデフォルトだから、なかなかその奥にある純粋な質には自分ですら気づきにくくなってしまっているけれど、
なにかのきっかけがあれば、いつもは曇って忘れてしまっているその純粋な質、その純粋さを感じることが出来るのです。

だって、必ずあるものなのだから。あるもの、は探したら見つかるでしょう、感じられるでしょう。

そのきっかけのひとつに、神話を知ることが使えるのではないかなと思っています。
神話を知る以外にも、神社のお詣りに行くと「なんだか気持ちがいい。スッキリした」という気分になるのも、お詣りという行為が曇りを作っている膜をはがす作業なのだと思うし、膜を剥がした結果奥にある純粋な質を少しでも感じることができて「スッキリした」という体感が生まれるのだと思っています。

 

そうして、神様の中にあるものとおなじ質が自分の中にも存在している、ということを感じられると、
「自分ももうすこし頑張れるかも!」「まだやれることがあるじゃん」「どうにかなるなぁ」というように、背中を押されるような感覚が生まれます。

神話を知ることやお詣りに行くことのご利益はこれ。

自分で自分の力をもっと引き出せるようになること、根拠はない自信が湧くようになること。
神様がどうにかしてくれるんじゃないよ、自分で自分の力を引き出すことが出来るようになるの。

 

あんなに崇められているアマテラスだって、へそを曲げて引きこもっちゃうんだよ。それでも神様だから当然、神業が使えるんだよ。ゴキゲンナナメで家から出たくない日があるわたし(人間)だって、本気を出したときにはどんなことでも出来ますよ。そんな前向きな気持ちが生まれてくる。
そうやって背中を押される、力を引き出されることが、神話やお詣りのご利益です。

 

そうやって人間の力を引き出すきっかけを作ってくれるから、
やっぱり神様はすごい!んだけどね。

 

神話やお詣りが身近であることで、自分のなかにある力が引き出されるんだよ。その力が出せたら、望んだことはなんだって出来るよ。

神様との関係もそう身近でフランクな感じがいいよね。
わたしはそう付き合っています。

 

 

 

神様や神話が身近になったときに、ひとつ気をつけることがあってさ、
そう遠い世界に感じなくなったときに「なんだ!人間とおなじじゃないか」と驕る気持ちを持っていい、ということではありませんからね。そこは念のため。驕ったらだめ。神様にマウントしたらだめですよ。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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