生き金を使う

クリスマスから年末年始と、贈り物をすることも多くて、
カードの明細を見てちょっとびっくりした今月。笑

でもいいの。ぜんぶぜんぶうれしい買い物だったから。
お金は使っているからたしかに減っているけれど、人にわたした贈り物がどれも本当にうれしくて幸せだったから良いのです。

 

クリスマスは良い例かもしれないけれど。

よく、「プレゼント交換」という場面があるじゃない?
なにかのパーティーや集まりで「プレゼントを持ってきてくださいね」というやつ。その場にいる全員でまわしてランダムにどれか、が当たる場合もあるよね。

このときに「誰に当たるかわからないから当たり障りのないものを」とか「これでいいや」という気持ちでプレゼントを選んでしまうこと、ありませんか?
そのパーティーが「あまり親しくない人たちの集まり」だった場合なおさら。
あとは「本当はあまり仲良くない、好きな相手ではないけれど、一応準備した方が良いプレゼント」のときも、そんな気持ちで選んでしまうことはない?
「あの人はいつも大したものを選んでこないんだよねー」という、自分のなかで「ケチ」な印象がある相手になにかを渡すとき、とかもそう。じゃない?

あとは、この時期なら“お年賀”とかさ。形式的に相手に渡しておいた方が良いものを選ぶときに、
「この値段でこの見栄えなら良いか」とか「流行りのランキングに載っていたからこれでいいや」という気分で選ぶことはないですか?

 

こういうのって、すごく後ろ向きな散財だとわたしは思っています。死に金を使う、って名付けてる。

 

自分が損しないように、とか(それでいて自分は良いプレゼントがまわってくるといいなーとか思っちゃうんだよね)、
当たり障りのないように、とか、
大したものをくれない相手に合わせて、とか、
これでいいや!という後ろ向きな気持ちでした散財は、豊かに循環しないよ。循環も後ろ向き。

だから「損をしないように」というつもりで使った金額が仮に少なく安上がりですんだとしても、
広い視野で見たら、損をすることになるんだよ。

 

逆に、ランダムに当たるようなプレゼント交換のような場でも、
「絶対これがいい!誰に当たるとしてもこれはステキ!イチオシ!」というような、とっても前向きな気持ちでする散財は、仮にそれが「その場のプレゼント交換の目安額」を超えてしまっていて自分が一見損をするように見えたとしても、
大きな循環となってのちに自分に巡ってくる何かがあるから、結果、絶対に損になることはありません。
もうこれは断言する。

 

昨年のインド&ネパール旅から、完全にお金に対する概念が変わったのだけれど、
お金ってエネルギーです。
だから、生かしたお金(エネルギー)をまわせば、生きたエネルギーが回って自分もエネルギーアップするし、
死んだお金(エネルギー)をまわせば、死んだエネルギーが回って自分もエネルギーダウンする。

だからね、そこで使う金額の大小で、損か損でないかが決まるのではなくて、
それ(お金)を使うときの気持ちが大切なんですよ。

 

お買い物をするとき、物と引き換えにお金を支払うでしょう?
金額の大小に関わらず、自分の気持ち(「これステキ!これ最高!」あるいは「これでいいや。当たり障りないや」)をのせた物を受け取るのに、お金というものを支払っている。
つまり、自分の気持ち、エネルギーの対価としてお金というものを媒介して、
その結果、物という形を手にしているのですよ。

 

その物を相手に渡す場合(プレゼントなど)でその物自体が自分の手元に残らなかったとしても、
相手に渡した物の金額、その場で出した金額、というよりもそれは、
自分のために自分が賭けたエネルギーや金額になんだよ、ということ。
自分が自分の「好き!」や「これ!」や「ステキ!」に賭けた額ということですよ。仮にそのプレゼントや物が相手に渡ったとしても、自分が「好き!」と感じたことに賭けた金額がそれ、ということね。

 

わかるかな?
つまり、自分のエネルギーを媒介する手段のひとつがお金、ということ。

 

これに気がついてから、わたしは豊かな循環を作りたくて、作ることに決意しました。
だけど、定価という概念が染み付いているかぎりみんな数字の大小に惑わされて、安いとか高いとか、価値があるとかないとか、判断してしまう。社会の中でずっとそれで生きてきたから、どうしてもその思考と癖が抜けない。

定価というものがなかったら、自分の気持ちはどう表現できるかな?
そこから練習しないと「お金がエネルギーだ」っていう実感を感じられない。

だから、うちのスタジオのレギュラークラス参加費がいよいよ “自由料金” になったのです。

 

こうして、数字としてのお金に縛られなくなると、とても楽になりますよ。
そして豊かな循環をすれば、ちゃんと豊かに入ってくることもわかる。豊かに出ていってもしまうんだけど。笑 でも、また豊かに入ってくる(うまく循環してゆく)から、豊かななかで、困ることは絶対に起きないんです。

やってみるのは怖かったけれど、ここまで数ヶ月わたし自身でやってみて、
だいぶ検証できたので本日ようやく記事に書きました。

 

あぁよかった!
あぁうれしい!
好き!
楽しい!
気持ちよかった!
ステキ!

そういうものにお金を使っていたら、それがどんな金額の散財だったとしても、大丈夫。
使った以上の金額や体験がまた自分のところにやってくるよ!

 

クリスマスのときに、どうしても気に入ってしまったものがあって高価だったけれども友人にプレゼントしました。きっと常識で考えたら友人にするプレゼント、の額は超えているやつ、恋人とか何かのお祝いとかに適した額といいますか。
でも、それがものすごくステキだったし、気に入ってしまったし、相手にもどうしたって似合うから。
幸せいっぱいのままお買い上げしました。

また、あまり親しくない相手に贈るプレゼントのときも「絶対にこれがいい!」と自分が気にいる(そして相手も気に入りそうな)ものを選びました。まわりは「え!そんなに良いものを贈るの?」と驚いていたけれど、いいんです。相手が云々、見合ったプレゼントを返してくれないことがわかっていたとしても、自分が「これ気に入ってる!」だからいいの。(一見、損に見えるシチュエーションでしょう?でもこれが損じゃないんだよ!)

そうしたら年始に、ものすごくうれしいことや、サプライズでいただくプレゼントなどがたくさんありました♡それまでに贈ったものと、年始にいただいたものや体験を比べたら、受け取ったものの方がはるかに大きい。それで確信しましたよ「循環とはこういうことか」と。
ちなみに、贈った相手から返ってくる場合だけじゃないからね!
わたしがAさんに贈ったとして、Aさんからものをいただく場合もあるけれど、全然関係ないBさんからまさかのプレゼントがまわってくることもあるんだよ。それが循環です。

 

今年はこの循環を大きく作ってゆきますよ。
そして、まわりのひとみんなで豊かになろうと思ってます。それが今年の抱負。
わたしもその形作りをするけれど(クラスが自由料金とかね)、
みなさんもお金を使うときに、「生き金を使っているか死に金を使っているか」いちいち確認して感じてみてください。

 

生き金を使おう!

 

 

 

 

しばらく前から、この tomok.tokyo トップページの右側に豊かさの循環実験バナーを出しています。
パソコンから見ないと気がつかないかもしれませんので、
リンク貼っておきます→豊かさの循環実験

 

 

 

 

 

 

 

 

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