昨晩、なぜかネガティブな気持ちになりきっていました。
いま身のまわりでおきている現実について。考えも方向性もまとまっていて、もはや「どうしよう…」という心配したり未来を案じたりする段階はとっくに超えたはずなのに。
蒸し返すように、「いや、やっぱりどうしよう…」と湧き上がってくる気持ち。
いくら世界は完璧だと実感できるようになっても、
心配ってする意味がないよね、どうせ完璧におさまるし、ということがわかるようになっても、
ふと、「どうしよう…」「本当にこれはうまくいくのだろうか…」という不安やそういう感情がまったく湧き上がらなくなるわけではないのですよ。
感情という機能は、人間に搭載されている基本的機能なので無くならない。
逆にそれを無くそう(感じなくしよう)とすると、元来当たり前に持ち合わせている機能を無理矢理取り除こうとするわけだから、心身に不調や不具合が起きる。
もともとある内臓を「邪魔だから」なんていう理由で手術で取り除いたら、身体に不具合が出るでしょう?そんなことしないでしょう?
それとおなじことです。
だから、感情も無くそうとしなくて良いの。
となるとやっぱりいつまでたっても、不安や心配が表れる時はある。そういうもの。
そういうときに、不安や心配に負けてしまって、「どうしよう…」な気持ちをかき消すために何か改善策をたてる必要もないんだよ。
「大丈夫かな…」「どうしよう…」という感情を抱えつつ、
「世界は完璧だし。心配しなくてもなるように、完璧におさまるものだし」という現実に身を置き続けるの。やることはそれだけ。
心配という感情を感じながら、完璧に運んでいる現実に目を向け続けるのです。
これが、心配や不安という感情に飲み込まれてしまって、「本当に大丈夫かしら」「うまくいくかしら」という感情が作り出す空想に目を向けているから、ずーっとその「不安な世界」から抜け出せないんだよ。
よく目の前の現実を見てみましょうよ。「うまくいかない気がする」と思い込んでいるだけで、実際はそんなにうまく運んでいなこともなくない?意外とちゃんと進んでいるでしょう?
はい、よく見て!
でね。
こうわかっていても、昨晩のわたしのようにぐずぐずする日もあるのです。
こういうネガティブな気持ちが湧いてぐずぐずするときはどのようなときかというと、
疲れているとき。眠たいとき。
だいたいそんなもんですよ。
YOGAの考えの中で、「肉体は魂の容れ物」という表現をすることがよくあるけれど、
これは本当にそう。人間のつくり、いまそこにある自分をよく見つめてみてくださいよ。
魂だけではなくて、意識や感情や思考が身体の中に入っていて、いまこのわたし(人間)ができているでしょう?「わたしの意識は身体から出てしまっています!それを感じられます!」という人はないでしょ?笑
このように、この身体の中に収納されているのですよ。全部。
わたしの先生はよく、
「フェラーリのエンジンを軽自動車の車体に乗せても走れないでしょ」
という例え話をしてくれるけれど、まさしくそれ。
中に搭載しているものと、外側の容れ物が合っていないと、不具合が出るのよ。
フェラーリの馬力(中身)のまま軽自動車(容れ物)を走らせたら車体(容れ物)に破損が出るだろうし、
逆に、軽自動車(容れ物)に合わせるようにフェラーリのエンジン(中身)を使おうとしたら、エンジン(中身)のほうに不具合が出るよね。
だから、中身と容れ物がぴったり合うように調整する必要がある。
中身と容れ物がぴったり合ってさえいれば、中身も容れ物もそれぞれ本来持ちうる力を無理なく発揮することができるんだよ。
もともと、わたしたちの意識や魂という本質的な存在(中身)は、
「世界も出来事もわたしたちも全てが完璧であること」
を知っています。それは真理だもの。
その知っていることを常々発揮できていたら、心配や不安に取り囲まれることはないはずなのに、
うっかりその真理を忘れてしまう。
それは、身体(容れ物)のほうが不快だったり疲れたり眠たかったりして、サイズダウンしてしまっているから。
本当は「まぁどうせ大丈夫。完璧だもの」を知っているという、フェラーリのエンジン級の意識を誰しもが持ち合わせているのに、
疲れたり不快だったりして、軽自動車の車体級の身体で稼働しているということです。
無理でしょ!もったいない。
そりゃ不安や心配から抜けないよね。だって容れ物が軽自動車だもん。
ですから、こういうネガティブな感情が湧いてきたときは、
わたし疲れてるのかな?
眠たいかな?
寒いかな?暑いかな?
窮屈な格好をしていないかな?
お腹が空いているかな?あるいは食べ過ぎたかな?
という、身体の状態を確認すると良いですよ。
前向きになるような本を読んだり、どこかへ出かけてどうにかしようとするよりも先に、
まずは自分の身体の状態を確認して。
そして気がつくことがあったら、その点を「快適になる」ように改善してあげるの。
眠たかったら寝る。着替えたかったら着替える。
そのときに「この時間に着替えてもお洗濯が増えるし…」「この時間にお昼寝なんて…」のような、頭で考える効率や外側の条件は無視して。
自分の身体の快適さを最優先にすること。
そして身体(容れ物)快適さを取り戻したときに、そこにある感情(中身)の状態を確認してみてください。
すっかり気分は変わっているはずだから。
昨晩ぐずぐずしていたわたしも、自分で気がついていたんですよ。
「今日は片付けと肚に力をいれる交渉事があったから疲れてるわー」って。気づいているならはやく入浴でもして寝なさい!って自分で自分にアドバイスをし続けていたのだけれど、
座ったが最後。お風呂やベッドに移動することすら億劫でゴロゴロしていたんだよね。
そしたらぐずぐずしてきたわけ。「あの件は本当にうまくいくのだろうか…」って。わかっているなら早く寝なさい!休みなさい!というだけなんですけど、そうせずにリビングでゴロゴロしていたら、どんどんぐずぐずしていったという話です。
そしてぐずぐずした気持ちにひたりつつ、ようやく入浴して眠ったの。
快適な身体を取り戻すべく、ようやく、
電気代なんて無視して快適なお部屋の温度を保って、好きな寝間着を着て、もちろん目覚ましもかけずに。自分にとって快適な環境を作り上げて、寝た。
そしたら今朝なんて「昨晩はなにを思い悩んでいたのだろうか?笑」と自分でも呆れるほど、すっきりしていますよ。もはや、思い悩んでいた意味がわからない。どうせうまくいくことしかないのに。
そこまで気持ちが自然に転換している。
感情なんてそんなものですよ。
だからね、ぐずぐずしているとき、心配や不安が湧いてきたときは、
とりあえず休みましょうか。
❤︎記事を読んでミラクル!ハッピー!が起きたら…→豊かさの循環実験