時間が経ってわかること

現在 am2:10
ーーこれまでのわたしだったらもう眠っているはずの時間だけれども、
このところはこの時間が静かでとても落ち着く、だいすきな刻となっている。
ここ数年のなかで一番忙しくて毎日たくさんの行動をしていたのは、7年前にスタジオをあけたときだったけれど、
最近はあのときに劣らぬスピードで物事が動いていて、それに合わせてやることが死ぬほどあって、忙しい日々を過ごしています。

だから、日中は連絡事や出かけることも多いし、スタジオ仕事もあるし…で、
どこからも連絡がこなくて完全に一人で過ごせるのが、この時間になる。
そういうわけでこんな “夜更かし” な時間を気に入ってしまった。静かな時間の味をしめた。

 

以前おつきあいしていた経営者の人が、
日中は現場に出て、夜はデザインやデスクワークをしていて、
本当に本当に「いつ寝てるの?」という時間の使い方をしていた。

そんな生活をしているうえ、そもそもさほど身体が強い人ではなかったから、たまに「調子が悪い」とか「熱が出た」なんて言っている日もあったけれど、
そんな日も懲りずに遅くまで作業をしたり、夜更かしをしていた。

当時そんな彼の生活を見て、
「早く寝たらいいのに。っていうか寝なさい」
「だいたい毎日そんな時間の使い方をしてるから体調を崩すのだよ」
と、ぶつぶつ言ったり思ったりしていて、
「なぜ、何度言っても寝ないのだろう?生活パターンが変わらないのだろう?」
と、理解がまったくできなかったのだけれど、
あれから数年経ったいま、自分が同じことをしている。

 

いま、深夜にこんな文章を書いているけれど、実はすこし発熱しているっぽいわたし。
数時間前「発熱しているみたい」と言ったら、「はやく寝て」と言われたけれど、
せっかくもらったその言葉を無視して、こうして文章を書いている。
文章を書く前は、気になっていた片付けやデスクワークをしていた。
「はやく寝ろ」と言われてから、それだけの作業に取りかかっちゃったよね(言うこと聞いていません、ごめんなさい笑)。

 

でもね、やりたくてしょうがないことばかりだから、
「寝なさい」なんて聞き入れてる場合じゃなくて、やりたいんだよ。

今日だって全然タスクが終わっていなくて、まだまだやれる作業があるのだけれど、
どれも「本当にやりたいこと」でやることだからまったく苦ではないの。
本当に全部やってしまいたいのに、時間と肉体にかぎりがあってやりきれていないのです。くやしい。全部やりたいのに!

だから、夜更かしをしても、多少体調が悪くても、
それ以上に「やりたい」から、やってしまう。
心配や忠告を聞き入れず、やってしまう。

 

当時の彼もそうだったんだろうな、といまになって120%理解できる。
自分がおなじような状況にたって、おなじような体験をすることで、ようやくわかった。

 

このように、
「時間が経って理解できるようになること」というものがたくさんある。
その当時、そのときは、相手がなぜそのような行動や発言をするのかが理解できなくて、
理解できないゆえに、うまくいかなくなってしまうことや離れてしまう関係もあるのだけれど、時間が経って「あぁ。そういうことだったのか」と理解できるようになる。

 

時間が解決することや時間が経ってこそ、わかることがあるんだよ。

だから、どうしても理解しあえないその当時、その瞬間に、
意地でも理解しよう、なんてしなくても良いんだよね。
そのときにわからないものはわからないよ。しょうがない。
しょうがない、で放っておいたら時間が経って、わかるようになるときがくる。

わからないときに、無理に距離を縮めようとしなくていい。
だって、わからないのだもの。距離なんか縮まるわけがないじゃない。

 

理解も距離も、
人間各々がする経験や、流れる時間によって、
深まったり近づいたり離れたりするものなんだよ。

常に近くにある必要も、いま離れているからといって永遠に近づけないわけでも、ない。
一生理解できないものでも、逆にいま理解しあえている考えを生涯必ず共有できるというわけでも、ない。

 

だからやっぱり「いま」にしか対応することはできなくて、
「いま」理解し合える人と、適切な距離をもって関係してゆくこと。
「いま」理解できない人とは、適切な距離をもって関係してゆくこと。

それ以外にやることはありません。

 

誰かと、距離が近づいても離れても、
理解が深まってもまったく理解できなくても、
なんの心配もいらないよ。
どうせまた、
近づいたり離れたり、理解できたりできなかったり、するよ。

顔ぶれは変われども、常に、理解が深まる人は近くにいるから。顔ぶれは変わるけれども、ね。メンバーは変わりゆくけれども。でも絶対に「理解し合える誰か」は常にいてくれる。
そしていま理解できなくて距離が離れてしまう相手とも、数年後にお互いの経験や状況が展開したときに理解しあえるようになって距離がまた縮まるかもしれない。

ただただ、そういうものなのです。
だからなんの心配もいらない。

 

 

 

そしてそんな移ろいのなかでも唯一、永遠に一番身近にいて理解し続けてくれる人がかならずいます。それが “自分自身” です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

❤︎記事を読んでミラクル!ハッピー!が起きたら…→豊かさの循環実験

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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