実は最近あまり眠れないことがある、よくある。
なかなか眠たくなれなくて、そして朝も早くに目が覚めてしまう。
夜更かし×早起きだから、睡眠時間としては短い。そして日中に少し「眠たいな」と感じることがあっても、お昼寝はできずに(眠れずに)起きてるような寝ているようなぼーっとした時間が過ぎてしまう。
こういう場合、一般のひとは「眠れない…」といって悩んだり困ったりすることが多いのでしょう。
そして「眠れないから」と病院へ行ったり、相談をしたらそれなりの治療や薬の処方箋が出るのかもしれません。
しかしこれって、
眠れないということを「問題」として捉えるから悩んだり困ったりする「問題」という現実になってしまうだけ、なんじゃないかな。
眠れないことは本当に問題なのだろうか?
「いやいや、寝ないと身体に悪いでしょう。病気になっちゃう」と言われそうだけど、
本当にそうなのかな?
身体は自分に必要なことをちゃんと知っている。
この世界は完璧なことして起きていない。
…のであれば。
眠れないことだって、問題なんかじゃないはず。
身体はちゃんと必要なことを知っているから、「いまの自分」に必要な睡眠時間は自分が一番わかってる。眠たくない、ということは、「いまは睡眠しなくて大丈夫よ」ということなのではないかな。
完璧なことしか起きない、のであれば、眠たくない、という現象すら完璧に、起こるべくして起きているのではないかな。
それを、
「寝ないことは身体に悪い」「病気になる」と思い込んでいるから、
「眠れないことは良くない」という「問題」に感じて、
「感じた」問題が、「実際の」問題になっているだけじゃない?
だいたい、睡眠が短いひとは全員病気になる、なんてありえない。
先日、ヘビースモーカーなひとががんにかかった、という話を聞いたのだけれど、そのがんの部位は肺ではなくて全然違うところだったんだよね。
「タバコをたくさん吸うと肺がんになる」というのはよく知られていることだけれど、
あれほどヘビースモーカーだったひとが、肺ではないところにがんが出来たと聞いたら、
「タバコをたくさん吸うと肺がんになる」という説はもう信じられないよ。
こうするとこうなる、という100%そうなる確実なことなんて、この世界にひとつもない。
だから「寝ないことは身体に悪い」ということなんてない。
というか、本当に毎日一睡もできない人、しない人なんてそもそもいないと思うんです。
今日あまり眠れなくても、明日あまり眠れなくても、いよいよ明後日も一睡もできなかったとしても。それがそのあとも毎日毎日続くことは、ほぼないでしょう。毎日あまりにも寝ていなかったら、ちゃんと眠たくなる日が自然とくるよ。
人間の身体はそうやってできているものです。
本当に1週間や10日にわたって一睡もできないレベルだったら、一度病院へ行ったらいい。
けれども、「眠れない」と悩んでいる人は、そのレベルではないでしょう?
なかなか寝付けない、も別にそれでいいじゃん。
そんなときは、「いまはさほど眠らなくて良いときなんだな」「寝ないこの時間を使ってなにかやれること、やりたいことがあるんじゃないかな」という方に視点を変えたらいいよ。
そうしたら「いまやるべきこと」が見つかるかもしれない。それはそのときの自分にとって、眠る、よりも大切なこと。だから「眠たくない」という感覚を引き起こさせて、「いまやるべきこと」に向かおうとさせられているんじゃないかな?
出来事を問題として見なくなったときに、
そのことは問題ではなくなるの。
眠れないという出来事も、
問題だとして捉えたら問題になるけれど、
「いまはあまり寝ないとき」として捉えたら、眠る以外のなにかができる貴重な時間が広がっている、というありがたい話なだけなのです。
身体は必要なことをちゃんと知っているよ。そして起こる出来事は全て完璧なんだよ。
だから「眠れない」は問題じゃない。
いまの自分が「あまり眠らなくて良いとき」「それよりも他にやることがある」というだけ。
そういう捉え方に変えてみたらどうかな?
そんなこの文章を書いている現在ももう深夜2時近くです。
今朝は早くから起きていて、一日中動き回っていたはずなのに。体力は結構使ったはずなのに。クラスも1日に2つもやってしまったのに。それでも眠たくない。
「こんなに動いたのに眠れないなんて…大変。どこか悪いかしら」と悩もうと思えば悩めるけれど、チガウよね。
眠たくない、からこそ、
今日いまこの文章が書けている。コラムや文章を書くために、書ける時間がこうして準備されていた、というだけ。
もっともっと、自分の身体も感覚も起きる出来事をも、信じたらいいよ。
❤︎記事を読んでミラクル!ハッピー!が起きたら…→豊かさの循環実験