現実は創れる、についてまた確信した話

タイムラインに流れて着た友人の投稿から
“地球少女 アルジュナ”
というアニメの存在を知りました。かれこれ17年前の作品らしいのだけれど、いままで私は知らなかった。(知っている人いるのかな?知らない人はググってください)

 

これが、17年も前の作品なのだけれど、
扱っている主題が放射性廃棄物や遺伝子組み換えの問題という現代社会が抱えている問題そのもので、「予言の書ですか?!」というような内容に、本気で本気で驚いた。原発のことも、「311の震災で起きたことやその後の現在のことですか?」と言いたくなるような内容で驚きました。

しかしこれは2011年にそれが起きるよりも前の、2001年に作られているアニメなんですよ。

 

こうなると、「予言してるみたい。すごい」という方に感想が流れがちだけれど、
私が感じたのはチガウことだよ。

 

ティーパーティーやお話会などでもお話しているとおり、わたしは、現実は創れると信じています。

そしていつもお話しているとおり、その手順は、
頭や意識にふと浮かぶこと、想ったことを→ノートに書く→現実に起きる
です。

頭や意識に浮かんだことというのは、大切な種ではあるけれども、その段階ではまだ「想いや希望や夢」といった「目に見えない」状態でしか存在していない。それを現実の出来事にするには、
「目に見えない状態のもの」を「目に見える状態のもの」にする、という最初の段階が必要です。
「目に見えない状態のもの」を「思い通りの形」にするには、いくつかの段階や過程が必要なのだけれど、まずは一番最初の段階で、「目に見えない」を「目に見える」にする必要がある。

 

その「目に見えない」を「目に見える」にするのが、
「ノートに書く」という作業。ということで、ノート書きをオススメしています。
(別にノートでなくてもいいんだけど、ノートにしておくと時間が経った時にも見返せるし、「自分の手で書く」という手作業をすることでエネルギーが乗りやすいから、やっぱりノートをオススメしている。)
そしてそうやって「目に見えない想い」だったものを、「ノートに文字として書いた」時点から「目に見えるもの」となるのです。そうしたら次の段階で、「文字という形」を「出来事という現象」に転換してゆけばいいだけです。

 

 

ここで、地球少女アルジュナの話に戻ります。

まるで「予言の書。予言のアニメ」とも思えるこの作品だけれども、
予言の書なのではなくて、「描いたとおりの現実が創れちゃった」ということなんじゃないかな。
予言が当たったのか、描いたとおりの現実が創れちゃったのか、どちらが本当かは誰も証明できないけれども、どちらともとれるでしょう?わたしは後者のように理解しました。

 

「いま出来事が起きている現実。なう」から昔を振り返って「17年も前にこんなアニメが作られていたなんてすごい…!」という考え方をするならば、たしかに予言の書のように感じるでしょう。
これは「現在から過去を振り返る」という、「現在(2018年)→過去(2001年)」という時間軸で物事を解釈した場合の思考。

この時間軸を逆にして「現在(2001年)→未来(2018年)」という流れのなかで解釈をしようとしたら、「描いたことが起きたんだね」と捉えることができる。
「描いたことが現実に起きた」つまり、(すこし先に起きる)現実は創れる、ということです。

 

いつもいつも、いつも!怪しいとか不思議だとか思われながらも(笑)言い続けている、「現実は創れる」という話が、
17年前に創られたというこのアニメに出会ったことで、また確信を深めました。

 

やっぱり、現実は創れるんですよ。
想ったことや願ったことも、まず「紙に書く」。するとそこから、「目に見えない」状態だった想いや夢が「目に見える」現実のものとなって、文字だったものがどんどん形を変えていって、「現実の出来事」になるだけなんだよ。

 

 

現実は創れる。
まずは書こう。描こう。まずはそこからですよ。

 

 

 

 

そして、今回のこの一件で、
「できるかぎり具体的に書く(描く)ほうが、より具体的な現実の現象が起きるんじゃなかな」と仮説しています。リアルなアニメのとおりの、リアルな現実出来事が起きているんだもの。
書く(描く)段階から具体的に、リアルにしたら良いんじゃないかな?という仮説が自分の中で生まれたので、これからちょっと実験してみます。

実験の結果はまた報告します。

 

 

 

 

 

 

 

❤︎記事を読んでミラクル!ハッピー!が起きたら…→豊かさの循環実験

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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