とっととやろう

このところ話題になっていたらしい「出すぎた杭は打たれない」というフレーズがとても好きです。
この言葉の是非はわたしにとってはどうでもよくて、この考え方がとても好みなの。

 

なにか新しいことを始めようとしたり、目立つことをやってしまったり、これまでの自分とイメージの違う事に挑戦しようとしたときに、
とやかく言ってくる人って絶対に現れます。
まるでこちらのことを心配してくれているかのように見せかけて「あなたのことを心配して言っている」とか言っちゃって、こちらが求めてもいないアドバイスや意見を言ってくる人。いるいる。
他にも「変わっちゃったねー」みたいなことを言ってくる人もいるし、
まぁとにかくいろいろなことを言う人がいるんです。それも面と向かって言う人も、陰で言う人も、いるの。

そして、そのようなことを人から言われたり思われたりすることが嫌だから、何を言われるかどう思われるかが怖いから、新しいことややりたいことへの一歩を踏み出せなくなっている人も多いと思う。

 

しかし逆にね、なにもしていなかったらしていなかったで「変わらないね」とか「もっとこうしたらいいんじゃない?」という、これまたこちらが求めていないアドバイスや意見を言ってくる人が現れる。
目立ってしまうよりは目立たないほうが、面と向かって意見を言われる機会は少ないけれども、
裏で「成長しないね」と思われていたり「おもしろくない」と言われる場合もあります。

 

こう書くとネガティブな話に見えるけれども、ちがうよ!

 

なにかをやってもやらなくても、なにをしてもしなくても、
とやかく言う人も求めていないアドバイスをくださる人もいるし、
なにをしてもしなくても、こちらの意図していないことを思う人もいるんだよ、ということです。

だからさ、
どうせどうしたって、色々なことを言われたり思われたりするんだから、

 

とっととやりたいことをやって、
やりたくないことをやめたら、よくない?

 

誰かの目や意見を気にして、自分の本意とは裏腹にやっていることやらなかったことがあるかもしれないけれど、
それをやっていてもやらなくても、良く思う人も悪く思う人もいるんですよ。
そんなアテにも得にもならない「ひとからの評価」を気にして、自分の本意をないがしろにする、って何事?

まわりの人100%から良く思われる、同意をもらえることなんて、ひとつもないんだから、
自分が100%良いと思う、自分が自分に同意できることを選んでいけばいいではないですか。

 

まわりを気にして自分の本意をごまかしてゆく、その行為も時間も無駄だよ。
とっとと自分が納得することを、やりたいようにやりましょうよ。

 

 

だからといって、自分が納得することをやりたいようにやるために、
なにかを傷つけたり人に無理を強いたりして良い!というわけではありません。
ここでポイントに使うのが、ヨガの考え方ーーahimsa(アヒムサ 傷つけないこと)とsatya(サティア うそをつかないこと正直であること)。

自分も相手もまわりもを傷つけることなく、
自分にも相手にもウソをつくことなく、
そして自分が納得するように、やりたいことをやりたいようにやる(あるいはやりたくないことをやらない)方法を探すんだよ。

 

 

こんな感じで最近、考え方がますますシンプルになってきた。笑
余計な物事、それはつまり「自分ではない外側からの意見や視線」なんだけど、それが削ぎ落とされてどんどん単純に簡潔になってきた。
そうしたら、簡潔になるぶん、様々なことが簡単になってきた。今まで「勝手に難しく考えて二の足を踏んでいたこと」が簡単にできるようになるんだよね。不思議。
そうしてどんどん身軽に動けるようになると、動いたぶん、行動したぶんだけ、また出来事や展開がすすんでゆくのです。

 

 

 

 

 

 

❤︎記事を読んでミラクル!ハッピー!が起きたら…→豊かさの循環実験

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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