自分の先を歩いてくれる人

最近、ますます好き勝手に好きなところへ行ってしまうし、
インド食材屋をはじめたり、食材とは別件でインドで仕入れをさせてもらえる仕事があったり、そんなこんなでヨガのクラスが流動的になったりクラス数が減ったり…。

まぁ、自由に勝手ばかりしています!笑

そしてそんな勝手なもんだから、やさしい人に手伝ってもらうことや助けてもらうことが多くて、
そういう人のやさしさや好意に甘えて成り立ってるんだよなーとつくづく感じることがあってね。
すごくうれしいんだけど、どこかで恐縮しはじめたんですよ。

 

さすがに…こんなにわがままで勝手でよいのか!?と。

 

そんな不安や罪悪感が生まれはじめたの。

だって、こんな自由に勝手に生きているけれども、
まず、これだけ好きなところに行っていたら当然旅費はかかるわけで、一方でクラスや仕事の時間は減っているわけだから、お金は減る一方なんですよ。社会人になってから過去一で貯金なんてない、なう。
「日本の常識に従った模範的な人間例」からしてみたら真逆です。真逆。どちらかというと、だめな印象です。

そのくせ、これからもまだ行きたいところへ行こうとしている。

ふざけてるよね。
日本の一般常識から捉えたら、「遊んでいないでまっとうな仕事をしなさい」ってまず言われるでしょうね。
でもね、どうしてもどうしても、そういう「常識で良いとされていること」をやりたいと思えないのです。だから、絶対にやらない。
そんな固い意思があるくせに、それでもやっぱり、
「こんなに勝手に自由なことばかりしていて大丈夫かな…」
と不安になることもあるんです。

 

ほんと意味がわからないよね。

 

絶対にやりたくない、やらない、わたしはこの道で行く!って決めているくせに、そしてそれ以外はどうせやらないくせに、
それでも「大丈夫かな」と不安になったり心配したりするの。

アクセルとブレーキを同時に踏む、みたいな。進みながら止まってる、みたいな。
そういう時があります、わたしでも。

 

 

そんなこんなな恐縮や葛藤がありつつ、先日インドへ行くときに「また今度はインド行っちゃうよー。また勝手に旅に出ちゃうよー。絶対行く!けど、いいのかなー」と思っていました。「行く」以外の選択肢はないくせに、いざ行く道中では恐縮してた。

 

そうこうして向こうに着いたら、
わたしよりももっと自由にもっと勝手に、時間もお金もを掛けて旅しつつ暮らしている欧米人に会いました。3ヶ月くらい東南アジアあたりをふらふらしている人。この人と、時間の使い方、お金の使い方、働き方、考え方、人との付き合い方、頼り方、を話しているうちに、
「わたし、まだまだだったわ。なにを恐縮していたんだろう?」
と目が覚めるような感覚が起きました。

日本で良しとされている、「一般的」とされている時間の使い方、休暇の使い方、働き方、「世界での当たり前」ではないの。というか、国によって、文化によって、「当たり前」も「正しいとされていること」も違う。
だから正解のやり方、なんてどこにも、なに一つ無いんだよ。
長らく旅に出る期間があってもいいし、貯金してもしなくてもいいし、正社員でフルタイムで安定した企業に勤めることが模範なわけではない。もちろんしたくなったら、それらをしてもいい。

 

正解なんてなくて、ただ、
「いいなー」「こうしたいな」「こうありたいな」
と自分が感じる生き方をしたら良いだけです。

 

でね、「いいな」「わたしもそうありたいな」というのは、
すでにそれを行動してしまっている、体現してしまっている人生の先輩の姿があるとわかりやすいです。
サンプルを見ないことには「こういう生き方もあるのか!?」「こんなことをしちゃってもいいんだ!?」という新しい価値観や憧れがインストールされない。

サンプルさえあれば、「わたしもそうありたい。だからそうやってみよう」が出来るよね。

 

だから、自分のすこし先を歩いてくれている人の姿はとてもありがたくて貴重なんです。
自分の憧れややりたいことをすでに現実にしているのだから、その人の背中を追っていけば良いじゃない。そうしたら、追っているうちにいつか「憧れだったその人のようなライフスタイル」が自分にも身についてくるの。

 

そのためには、「いいな」と思う人や感じることには、素直に「いいな」と思って憧れたらいい。
ここで、本当はいいなーうらましいな!と思っているのに、素直になれなくて、
「別にわたしはそんなことしたくないし」と拗ねたり、「勝手なことしているあのひとはよくない」と批判したりしていると、
素直にその背中を追えなくなるから、「本当はいいなと思ったその背中」にいつまでたっても追いつけないし、それどころかどんどん遠くなるんだよ。
自分が素直じゃないばかりに、憧れやいいなー!からどんどん遠ざかって、結局それが叶わない、自分の身につかない、なんてばからしくない?

素直に憧れて、とっとと自分もそのようになったらいい。それをモノにしたらいいじゃないですか。
そしていつかに「いいなー」と思った、理想の憧れの自分になったら、それは嬉しいでしょ?「夢が叶った」ってことでしょ?それがいいじゃん。

 

「いいなー」と感じてしまったことに、
素直に憧れて、先を歩いてくれる人のその背中を追ったらいい。それだけなんですよ。

 

 

そんなことを考えていたら、久しぶりの友人から電話がありました。
そして近況話を聞いていたら、その友人が「もうビジネスクラスにしか乗らないよ!絶対!」って言い切ったんですよ。これを聞いた時に、すぐに、
「いいなー!」と感じたんですよ。わたしもそう言い切れるようになりたい。その「いいな!」と感じる反応が “秒” だった。それくらい素直に本気で「いいな」と感じたということです。

このときに、「贅沢なことを言っているな」「また勝手なこと言ってるわ」「わたしにはまだまだ…」とか思わない。そういうことを思考から絞り出さないように。そういう思考を絞り出してるといつまでたってもその憧れは自分に近づいてこないのよ。

「いいな」と思ったら、「いいな!」がすべて。それでいいんです。
そうやって「いいなー」と感じて、素直にその背中を追ったらいいだけ。

そうしたら、いつかは自分も自然とそうなっているから。

 

 

今日も自分の先を歩いてくれるサンプルを目の当たりにして、一日が終わります。
良いサンプルゲット。ありがとうー贅沢で勝手な友人!

 

 

 

 

 

❤︎記事を読んでミラクル!ハッピー!が起きたら…→豊かさの循環実験

 

 

 

 

 

 

 

 

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