自分の棚卸し

今週、なぜだか「あぁ幸せだったなぁ」と感じて週末をむかえてる。

けれども、特別な何かがあったわけではないし、全ての物事が予定通りに進んだわけでもない。
ヘビーな話もしたし、現実にも向き合いました。
だから、「良いことばかり」があったわけではないのだけれど、
それでも体感として「幸せな一週間だったな」と感じてる。

 

ということは、
これしたから幸せで、こうなったら不幸だ、
と決まっていることは、やっぱりないんだよ。

友達がたくさんいるから幸せなわけでも不幸なわけでもなくて、
結婚しているから幸せなわけでも不幸なわけでもなくて、
病気をしているから幸せなわけでも不幸なわけでもなくて、
〇〇だから幸せ/不幸という、出来事や現象によって幸せや不幸が決まることは絶対にないの。

何が起きても起きなくても、どんな出来事があってもなくても、
それをどう感じるか、またそういった日々の積み重ねをどう感じるか、は、
人間それぞれ個人個人の「感じ方」次第ということ。それしかない。

 

だから、
自分は何を幸せと感じるか、
何が嫌か、
どういうことが嬉しいか、
そういう「自分の感じ方のくせ」や「感じるポイント」を自分で知っておく必要があります。

何が嬉しくて何が嫌か、どういうことに幸せを感じて、どういう点にはあまり興味がないのか、
それを知っていないと、「幸せな現実」をつくれるわけがないじゃない。
だって、知らないものはつくれない。料理だってそうでしょ。「どういう料理なのか」がわからないのに、作り方がわかるわけがないじゃないの。
そして「自分の幸せの感じ方や感じるポイント」は自分にしかわからないのです。どんなに身近な存在であったとしても、わからない。自分のことを感じられるのは自分だけだから。

 

今週わたしが「幸せだなぁ」と感じているのは、
わたし的な好みなこと、わたしが幸せを感じるポイントな出来事があったからです。
プライベートすぎることなので具体的詳細は書き控えますけれど、一般的にはとても「普通」な日常的な出来事。
でも、わたしにとってはそれが「ものすごく幸せに感じること」なのです。だから、一週間に起きた諸々の出来事をプラスマイナスしても、その出来事がものすごくプラス!だから、総合してプラス査定。で、週末になって「幸せな一週間だったなぁ」と感じているということ。

 

この、「自分の感じ方のくせ」や「幸せを感じるポイント」を自分で知るために、
自分の棚卸しが必要です。

何が好きで何が嬉しいのか?

これまで自分に目を向けてこなかったり、常識や社会の目という「外側から見た正しさ」に従って生きてきた人は、この「自分は何が好きで何が嬉しいか、幸せか」がわからなくなってしまっているんだよ。
だってこれまで、「自分の好きや幸せという感覚」よりも「正しいとされている方法ややり方」を選んできているから、
その選択をする過程で、自分の感覚は押し殺すようにしてて、それゆえ自分の感覚が鈍ってしまっている。だから、「何が好きで何が嬉しいか。本当はどうしたいのか」がわからない。

 

失ってしまったその感覚を取り戻すために。
自分の棚卸しをするために。

有効なのはやっぱり「ノート書き」ですよ。
今日何があったのか。何をしたのか。という“出来事”を書いて、それとともに、
“そのときに自分はどう感じたのか”を書いてみる。記録する。

最初はどう感じたのか、を思い出せないことすらあるけれど、
振り返って感じ直す、感じを思い出す、の練習を積み重ねてゆくうちにだんだん、自分の感覚を取り戻してゆきます。

そしてその記録を重ねていると、自分で自分のエビデンスがとれる。
記録がたまったときに読み返すと、「あーわたしってこういうことが好きなんだ」「こういうときにいつも喜んでるな」「これは本当に嫌なんだな」って、自分で自分の確証が取れるのです。

 

そこまできたら、「好きなこと」を確信を持って選んでいきやすくなるし、
「こういうことがあると機嫌が良くなっちゃうよ」がわかるから、自分で自分の機嫌がとれる。
というわけで、幸せな現実が創れる、好み方を選択し続けていける、ようになるのです。

 

 

自分の棚卸しをしましょうね。
棚卸しのためにも、ノートを書きましょ。

 

 

 

 

❤︎記事を読んでミラクル!ハッピー!が起きたら…→豊かさの循環実験

 

 

 

 

 

 

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