大変なこと、はありません。

いまなぜか、翻訳の仕事を預かっています。
なんでこうなったのか?はさておき。毎度の「流れでそうなった」というだけです。

 

インドツアーへご一緒してくださった人はわかると思うけれど、
わたしは、旅行へ行ったりそこでちょっとやりとりする程度の英語はできる。しかもインドならなおさら。
というか先日の渡印の際に、自分がいかに
“ヒングリッシュ” ーーインド人が使う英語。ヒンディー×イングリッシュ=ヒングリッシュ
に馴染みすぎていたか、を反省したんです。訛りが強い、なんてよく言われるインド英語がすっかり聞き取りやすくなってしまっていて、独特の表現が身についてしまっている。
だから、欧米の人と話すと、聞き取りにくいんだよね(おそらく一般日本人は逆だと思われます。インド英語の方が聞き取りづらいはず)。

 

だからね、今回預かっている「インドを題材にした作品(言語は英語)」の意味も内容も、難なく理解はできる。

なのに「翻訳をする」となると、急に手が止まってしまった…。

 

日を重ねるうちに「やらなくちゃやらなくちゃ」とは思うんだけど、
一向にやる気が起きない。手が進まない。

作品自体は心底だいすきだし(そうでなかったらそもそもこの作業を引き受けていない)、依頼してくれた先方のこともだいすきなのに。
だからはやく作業してあげたいのに。
なのに、なのに、途中から先へ全然手が動かなくなっちゃった。

 

でね、「なんでだろう?」ってすごく考えたんですよ(自問自答)。
何が嫌なのかな?何が怖いのかな?って。

 

そしたらまず、「翻訳という作業を仕事としてやってことがないから、自分がちゃんとできるのかわからない」という懸念事項が出てきました。
たしかに。どんなに内容の意味がわかっても、「正しい訳」をしなければ作品自体の質が変わってしまうものね。

そこでね、「正しい訳」をしようと試みたのだけれど、そうすると今度は作品のイメージやカラーが損なわれてしまうことに気がついたんです。
直訳をすると「言葉通りには」正しいのだけれど、イメージや雰囲気までぴったり合わすには日本語の単語が足りない。
けれど、そこで日本語の単語を足してしまうと、それは「もともとの英語文章のまま」ではなくなってしまうし、選ぶ言葉によっては「わたしのカラー」が付け足しされてしまうことになってしまう。そうすると、「もともとの作品そのまま」のカラーではなくなってしまう可能性がある。

 

先方と作品がだいすきでリスペクトしているからこそ、
「元のそれ」を崩さず傷つけずカラーを変えずに、そして日本語で表現する、
ということが、わたしにとってもう、めちゃくちゃ難しいものになってしまっていたのです。

 

でね、作業が全然進まなくなっちゃってた。
だって「すごく難しいもの」だから、すぐには出来あがらない。すごく時間がかかる!大変だ!と思っていた。

 

 

けれども、もうどうしようもないし、日にちばっかりすぎてしまうから、
いよいよ意を決してその「めちゃくちゃ難しい作業」に取り掛かることにしたんです。

そして第一段階まで終えて、先方へ提出する際に、
ここまで書いた悩んでいたことを打ち明けることにしたの。
わたしの選ぶ言葉だとわたしのカラーがのってしまうこと、を心配してしまってすごく難しく感じてる、とか。それでもわたしの訳でいいのか、とか。
心に引っかかっていることをそのまま聞いてみた。

だって、どんなに一人で悩んでいてもどうにもならなくて、
それで本当に良いのかどうか、相手は受け入れてくれるのかどうか、は相手にしかわからないこと、だから。だから、本人に聞くしかないじゃん。

 

というか、この話(わたしの心配事)は先日打ち合わせをした時にも確認したんですよ。
「わたしが訳したら、わたしの表現になってしまうけれど、それでもいいの?」って。
ちゃんと確認していて、そのときにも「難しく考えなくていいんだよ」って言ってもらっていたのに。それでも作業をしたら、やっぱりまた不安になってしまったから、また聞く、というこのしつこさ。笑

でもでも、それでもやっぱり気になってしまって、作業が進めづらいんだからしょうがないよね。また聞くしかないじゃん。

 

そんなこんななやりとりをして、改めて「本当にいいの?」を聞いたら、
なんだか気持ちのつっかえがとれました。
そしてつっかえがとれたら、なんだか気分が楽に作業ができるようになった。

 

そしたらね、あれほど難しい!大変だ!と思っていた作業が、
さほどの時間もかからず出来ちゃったの。

気楽にやったらあっという間。
時間がかかるなー難しいな!と思っていたのは、完全なる妄想でした。

 

 

こういうことってよくあると思うんです。
自分で自分の頭の中で勝手に「難しいこと」「大変なこと」にしてしまっているものってよくある。
そして「難しいこと」だから、なかなか取り掛かりたくなくて、手をつけないようにしているやつ。

でもね、それを一旦手にとって、
「何が嫌なのかな?」「どこにハードルを感じているのかな?」を分析して、そこを解決したらいいんだけなんだよ。
解決、というのは「これが難しく感じてる」という精神的なことだったら、それを相手に白状するだけでいい。自分の中で「どうしようどうしよう…」となって進めなくなってしまっているものを、「どうしよう…と思ってる」ということを相手に伝えるだけでいいの。
物理的なハードルあるなら、その物理的な面を解決したらいい。

 

その「何が嫌?」「どこがハードル?」というポイントをクリアにさえしてしまえば、
作業全体が簡単に進むようになるんだよ。

 

作業全体、という全体を片付けようとするから、大変に感じるの。
片付けるのは「ポイント」だけでいい。
ポイントさえ片付けたら、ひとつひとつ片付けたら、びっくりするくらいあっさりと全体も片付いてしまうものですよ。

 

というわけで、わたしの翻訳作業もびっくりするくらいあっさり出来た。

 

ここまでくると感じるんだよね、「何をあんなに悩んで大変だと思っていたのだろうか?」って。
そういうものなんです。別に大変なこと!ではなかった。
大変なことなんてどこにもひとつも無いんだな。大変だと「思い込んでいる」ことはあって、
結局、その思い込みに振り回されているだけなんだよ。

 

 

 

 

 

 

❤︎記事を読んでミラクル!ハッピー!が起きたら…→豊かさの循環実験

 

 

 

 

 

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