とられません

ヨガの先生や何か発信する立場にいるとときたま、パクられた話を耳にする。

ヨガに限らず、アートやデザインなどのいわゆるクリエイター業のお友達も多いからよく話題になるんだけど。

 

あのシークエンスはわたしが作ったのに、とか、

あの記事はわたしが書いたのに同じようなことが書かれてる、とか、

あのネーミングを考えたのはわたしなのよ、とか。

 

たしかに現実はそうなんだろうし、わたしもそれで嫌な思いをしたことは幾度とあるよ。企画とか講演内容がパクられたことなんてしょっちゅう。

 

人のアイディアや誰かが作ったものを堂々と自分のものにできちゃう人の無神経さとダサさがわたしは大嫌いなんだけど、

逆に、真似されちゃった側パクられちゃった側も騒ぐ必要はないから堂々としていていればいいのにと思ってる。

 

真似されるということは、それほど良い発想だったことのお墨付きがついたってことだし、

いくら同じように真似したとしても、それがそのままその人のものになるわけじゃないからね。

 

同じ文言を発したとしても、

その文言のうえにはそれを発する人のキャラクターや言葉使いや普段のライフスタイルまで、全部が乗っかって相手に届くものだから。

誰かが言ったものを真似して発信したものは、真似感とかにせもの感がどことなく漂ってるから、大丈夫。最初に発信した人の本物感とか「おおもと」感には絶対にかなわないんだよ。

 

 

盗まれるものなんてないんだよね。だって、「わたし」というキャラクターは唯一無二なんだから。どんなに真似されたって全く同じにはならないんだから。その「わたし」が発するものは、文言が同じだったとしても「わたしが言ったこれ」「わたしが作ったこれ」というものは唯一無二でしかない。

 

真似されたとかパクられたなんて心配と立腹するヒマがあるなら、「わたし」をますます濃くすることにエネルギーを注げばいいよ。絶対に似ない濃度まで「わたし」を濃くしていたら、同じようなことを発しても発されていても、どうしても近づかない何かがはっきりするだけだから。

 

 

安心してください、とられませんから。

安心してください、おおもとにはかないませんから。

 

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