時間という概念にとらわれなくなった話

今年のはじめ。
部屋の時計を落として壊したことを機に、時計というものを生活圏から無くすことにした。

最初はいつも時計があった場所にふと目をやることが多くて、そっちの方を見るたびに、
「そうだ。時計をやめたんだった」
と思い返すことが、一日のうちに何度も何度もありました。

ということは、それだけ「時間を気にして」いることが多かったということ。時間を気にしている、つまり時間に縛られている。
その、「縛られている」の感覚が苦しくて好きではないから、
もう、時間に縛られる生活は本当にやめようと思った。

 

そこから「感覚」をますます鍛え始めるようにした。

「世界は完全で完璧にまわっている」のであれば、
その完璧な世界のペースで自分が生きさえすれば、
どんな予定にだって、どんな約束にだって、完璧なタイミングで間に合うはず。完璧なタイミングでそこに運ばれるはず。

だから、拾わないといけない情報は、
「時間という数字」ではなくて、
「完全なタイミング」「完璧な世界のリズム」

 

「完璧なタイミング」や「世界のリズム」はどうしたら拾えるのかというと、
思考をやめて、「いま」の感覚にひたすら合わせていると、
「いまはこれをする」という勘がひらめく(おりてくる)から、それに従った行動、行為をすればいいだけ。

「いま」お洗濯をしよう。
「いま」トイレに行きたい。
「いま」着替えよう。
「いま」メイクをしよう。
さて「いま」家を出よう。

そういう「いま」の感覚をひたすら拾って従っていると、
予定や待ち合わせは完璧に間に合う。

 

待ち合わせの予定時刻に合うようにぴったり到着できることもあるし、
「いま」家を出ようの感覚が当初の待ち合わせ予定時刻から大幅に遅れても、待ち合わせ相手も遅刻してきて、結局ちょうどよくなってしまう。
といった具合で、
予定時刻どおりになるときも、予定どおりにはならないこともあるけれど、
いずれにせよ「ちょうどよかった」というようになるの。

 

たまに、この調子で「いま」で動いてみた結果、
自分は早く到着してしまって、相手が来ない場合もある。
こういうときは一見「あれ?うまくいかなかったかな?」と思うけれど、違うよ。
相手がなかなか来なくて遅れてくることが判明したから、
「いま」入りたいと思ったそこのカフェに入ってみたら、
自分が知りたいと思っていた情報のヒントが落ちていることがある。

だからこの場合、
わたしが家を出たタイミングも、相手が遅刻することになったことも、やっぱり完璧なことで、
そしてそのときに「いま」入りたいカフェに入ったことも、すべて正解。全部「完璧」なタイミングで起きたこと。

 

もし、◯時◯分という、数字の時間にとらわれていたら、
このタイミングで家を出発することにはならなかっただろうし、
「相手が到着するまでには◯分しかないから、カフェに入るほどの時間はないなぁ」という思考が、「カフェに入る」という行動を引き止めて、このカフェには入らないことになったはず。
そうしたらもちろん、カフェ内にあった、わたしの知りたかった情報にはめぐりあっていない。

 

だからね、
数字の時間にとらわれるのはやめたらいいと思います。
本当は「いま」という瞬間のなかに、すべての正解があるんだよ。
「いま」やること、やりたいこと、やる気になったこと、
その感覚とそれに従ってする行為が大正解なの。

 

 

しかしこの話をすると、
「時計をなくすことは怖くてできない」とよく言われます。

たしかに。
わたしも「目覚まし時計をかけない」ようにするのが一番怖かったです。
日中に「勘で動く」のはわりとすぐに実践できたけれど、
朝のクラスがある日や朝早いフライトに乗らないといけない日に目覚ましをかけない、のは恐怖でした。
「起きれなくてクラスに間に合わなかったらどうしよう」
「フライトを逃したらどうしよう」
という、「なんだか取り返しのつかない失敗」をしてしまいそうで、怖かったんだよね。

そういうときは、無理にトライしなくてもいいと思いますよ。(ドM修行系が好きな人はやってみてもいいと思うけれど笑)

「日中に時計を使わない」という、万が一うまくいかなくてもリスクが少なさそうな予定や時間帯からトライをしてみるのが良いです。そしてそこで、
「うまくいっちゃう」
「時計がなくてもいけるかも」
「いま、のこの感覚で動けばいいのか」という、
自分と、時間という概念と、完璧に動いている世界、への信頼が積み重なってから、
「目覚ましをかけない挑戦」をしたらいいと思います。

 

なにをするにも、段階や、step by stepがあるからね。
いきなり難しいことをして「なんだーやっぱり出来ないじゃん」とハナからくじけたり、
自分と世界への信頼を失うよりも、
できるところからやってみて、信頼を積み重ねていったらいい。

 

 

こうして、年始から始めた「時計をやめる」という調整の結果、
時間という概念が崩れて、もう時間にとらわれることがだいぶ無くなってしまいました。

そうしたら、ものすごく楽ちんなの。
何かに遅れる心配も、何かに追われるような緊張感もなくなった。緊張しないからいつもゆるゆる。だいぶ気が楽。

そして時間にとらわれることが無いから、常に「いま」はなにをしようかな?という「いま」の積み重ねでしかなくて、
そうなると「いま」にある正解しか引けないから、うまくしかまわらないのです。
となるとますます、「完璧だわ」ということしか起きなくて、自分も世界をも信頼するしかできなくなる、という好循環が起きます。

 

とてもおすすめ。
時間に縛られるの、やめよう。
挑戦を始める最初はめちゃくちゃ怖いけれど、
ハードルが低そうな用事や時間帯(万が一遅れちゃっても大丈夫そうな時間や用事)のときからトライしてみたらいいよ。

 

そしてね、低めなハードルが越えられるようになると、
徐々に高いハードルも越えられるようになる。

 

時間の次に、人間全般もちろんわたしも、がとらわれているのが「お金」だと思います。
ということで次回は、時間の次のハードル、「お金」をいよいよ越えられそうになってきた!というお話を書こうかな。

 

 

 

 

 

 

❤︎記事を読んでミラクル!ハッピー!が起きたら…→豊かさの循環実験

 

 

 

 

 

 

 

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