頼むから勝手に幸せになってくれ

今日は腹を立てていることがあります。

最近、お話したり書いたりしているとおり、
これまで以上に、思い込みや自分でかけていた制限や、「常識」という妄想と洗脳に縛られていたものが外れて、
おかげさまで楽しく生きております。

今年のはじめかな?
「これからはたくさん旅に出る」ようなことをノートに書いたんだけど、本当にそのとおりの現実になって、
毎月国内外いろいろなところへ行けています。直近数ヶ月でも、
マレーシア・インド・九州・奈良…
毎月どこかに行けている。

それは、「わたしが望んだわたしの好みの現実」だから、それが実現していたらわたしは幸せです。
しかしこういう行動や生活をしているからね、当然それに賭けて失っているものもあります。
同世代の大多数が持っている、あるいはそれがあることが「常識的に」「当たり前」で「正しい(と大多数が揃って思い込んでいる)暮らし」のような、例えば、
“こども” とか “安定した仕事” とか “長く大企業へ勤めたキャリア” とか “貯金” とか。
そういうものははっきり言って持っていません。

だから、「日本の大多数が常識で正しいと思い込んでいる生活像」からは外れてちゃっている不出来な人なんですけれど、
自分ではそれを不出来とも悪いとも思っていない。
持っていないものもたくさんあるけれど、
自分で誇れる持っているものがたくさんあるの。

信頼できる友達たち(世界&日本全国にいる)とか、愛を注いでくれる人とか、
あとは経験。これはもう絶対に自分の財産として自分の身になっている、と本気で誇れます。

 

だからね。「日本の大多数の常識」的には外れているけれど、
わたしは本当にこれがいいのです。ものすごく納得していて、楽しくて幸せです。はっきり言える。

そしてこれからの日々もおもしろそうな予定がいくつかあって、
予定がない日々もどうせおもしろいことしか起きないと思っています。

 

でね、また今度出かけるんですけど、その話を聞いた人が、
「また旅に行くらしいよ?!」とブツブツ陰口を言っていることがわたしの耳に入ってきました。

 

別にね、誰に何と言われようと、わたしはわたしが納得する行動しかしないから、
陰でどうこう言われているというのがわかっても、予定や行動を変えるつもりはありません。
だけどさ、
こういう話が耳に入ってくることは、やっぱり気分は悪いんですよ。
しかもこれ、陰口を言っている本人はその直前わたしに向かっては「へー!そうなんだね!」というリアクションしかしていなかったんですよね。

 

「言いたいことがあるならそのときに直接言えや」
です。そこにムカついている。

正直なやりとりができない人、心底嫌いなの。

 

 

ここまでは愚痴なんですけど(読んでくださってありがとう!)、
この陰口を言う人がなぜこのようなことを言うのか?を考えてみました。

 

そしたらやっぱり、
『うらやましい」ということが一番にあると思うんです。

 

「自分はこんなに我慢しているのに」
「わたしだってやりたいことがあるのに、家族がいるから…」
「わたしもそうやって愛されたいのに」
「わたしも自由にやりたいのに」



そうやって、自分で自分に足枷をかけて自らを不満足にさせている人の目の前に、
なんだかわからないけれど、自由にしていて楽しそうな人が現れたら、
そりゃきっとムカつくでしょう?

そして「わたしは我慢しているのに、あの人ばっかりズルイ!」といううらやましさが、嫉妬や妬みになり、それが陰口になる。

 

自分で勝手にとらわれている常識や思い込み

自分で勝手に我慢

自分が勝手に辛くなる、つまらなくなる

自由にやっている人が目につく、ずるい

文句、陰口を言う

陰口を聞かされた相手の気分をも壊す
また、陰口が本人の耳に届いた場合、嫌われる

 

という恐怖のスーーパーー悪循環が発生。

 

実際、わたしのまわりで常識や社会の固定概念にとらわれることなく、自分の人生を自分で納得のいくように生きている友人たちは、
そんな陰口を一切言いません。というかそういう人たちってみんな、「自分がいま好きなことと楽しいこと」に集中していて忙しいから、
他人の行動をいちいち見ていちいち文句つける暇がないんだよ。自分のおもしろいこと!で精一杯なの。他人のことに脇目をふっている暇がまじでない。

そしてもちろん、こういう友人たちと一緒にいたり話をしたりしている方が、わたしは気持ちが良いし楽しいです。わたし以上におもしろく常識の斜め上から飛ばしてくるネタを持っていて、楽しいどころか尊敬することが多いの。
このときにわたしが「すごーい!尊敬するわ!!」と素直におもしろがれるのは、
わたし自身も自分の日々ややっていることに自分で納得していて、自分が好きなことばかりしているから、「わたしは我慢しているのに…」みたいな妬みが全く生じないからなんですよ。

 

こうなると、
自分は自分の世界が楽しいし、
隣の友人の世界の話もこれまたおもしろがって聞ける。
だから、おもしろい世界が2倍にも3倍にもなるんだよ。おもしろい!なにそれ楽しいね!幸せ!な世界ばかりが横に並んでいくの。

 

これが、「わたしはこんなに我慢をしているのに、自由にやっているあの人はずるい。いけないことだ。正してやろう」となると、
自分の世界も楽しくない(なぜなら我慢ばかりで辛いから)し、
隣のあの人の世界も「ずるい、正さなければならない」ものになっておもしろくなくて、
おもしろくない世界がどんどん横に並んでいくの。不幸と不自由の連鎖ですね。あーまじでクソ。

 

そんなおもしろくない世界を創って並べて、なにが楽しいの?

 

どうせ世界を創るなら、どうせ寿命を終えるまで今生を生きるなら、
おもしろい世界の方が良くないですか?

 

ここで、「おもしろくない世界で不幸せに浸りたいんです…」という人がいるなら、勝手にそうしてくださいな。ただし、わたしとは好みが違うようなので(わたしは絶対におもしろい世界で幸せがいいから)、交わりませんよ。さようなら、と言うだけ。

 

けど、おもしろい世界で幸せに生きたい!という人は、
とっとと幸せになってください。

 

それはとてもシンプルなことで、
社会や常識や家族や時間やお金などのどんなことをも言い訳にしないで、
「自分の望みを自分で叶える」だけですよ。
やりたいことをやる。
着たいものを着る。
食べたいものを食べる。
好きなことを好きって言う。それをやる。
嫌なものには嫌だと言う。嫌なものに近づかない。



本当にそれだけなんですよ。

それだけなんだけど、それを実行するには勇気がいることも多いです。
「変な人と思われるかも」「家族になんて言われるかしら…」「お金がないから」「時間がないから」…「だからそれをするのは怖い」という、
「怖さ」に負けて、ビビって、やらないだけ。その「自分がやらない理由」を正当化するためにまた、「家族」とか「お金」とか「こども」を理由に引き出してくるんだよ。
でもそんなの、「理由づけ」をしてみただけであって、本当の理由ではない。
できない、やれないことの本当の理由は、「常識から外れたり誰かに何かを言われる(思われる)ことが怖いから」という、自分のエゴだけですよ。
そんな自分のエゴは、とっとと自分で乗り越えて、
そしてとっとと好きなことに取りかかって、
とっとと幸せになってください。

 

こんなことを書くのは、
わたしはますます楽しい世界を創ってゆくだけなんですけど、その度に、
妬みやあいつはずるい!の不幸せ族から、文句や陰口が耳に入ってくるのが心底不快だからです。

わたしの幸せのためにも、わたしの不快を取り除くためにも、
とにかく幸せになってくれ。

 

そういう意味でいつも自分以外の他人の幸せを願っています。
それはわたしが善人なのではなくて、「わたしが気持ちよく幸せであるために、あんたたちも幸せになっていてよね」という、どこまでも自分勝手な気持ちで、ひとの幸せを願っているのです。

 

だからとにかく、そちらはそちらで勝手に幸せになってくださいね!

 

 

 

 

 

 

 

 

❤︎記事を読んでミラクル!ハッピー!が起きたら…→豊かさの循環実験

 

 

 

 

 

 

  1 comment for “頼むから勝手に幸せになってくれ

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