たしか、
一昨日くらいまでの数日は午前に事務作業を片付けて、ランチして、その後に家のことを片付けて、一日を終えるという、活動量も多くない平和な日を過ごしていました。
「こんなペースが心地いいなぁ…」と、穏やかな時間を心底楽しんでいたはずなんだけど、
昨日はなぜか「活動したい!動きたい!」と思い立って、
朝早くからキビキビと動いて、午前のうちにマーケットにたどり着いていた。ひととおりのお買い物を終えてもまだ午前中で、そのまま近くで食事をしてもまだ昼前(ブランチの時間というのかな?)。
そして帰ってからはまったくパソコンに触れる気が起きず。
やらなければならない事務作業はまだまだあるし、
最近張り切って書きます宣言をしたアメブロもあるし、
なんなら10月のスタジオスケジュールもいよいよ告知しないといけないはずなんですけれども(お待たせしているみなさま、ほんとにスミマセン笑)、
まったくやる気が起きませんでした。
「もういよいよ張り切って仕事する!とか無理なのかも…。もう家事しかできないかもしれない…。ゆるすぎるペースでしか生きられないのかもしれない、どうしよう…」と、これまで通りにできないかもしれない自分に絶望して、一瞬不安に苛まれたのですけれども、
今日になってみたら、
なぜかわからないけれど事務作業とパソコン仕事へのやるがみなぎっていて、「今日はどこも行かない。仕事する!」とやる気満点になっています。
もう、自分で自分のペースがわからない。笑
しかし、
そもそも、人間の気分ってこんなもんなんだよね。
なぜかやる気になったり、急に「もう一生やれないかも…」と思ったり、
これがしたい!と思っていたことが叶って喜んだり、喜んだのも束の間で飽きてしまったり、
「これがいいと思っていたのに、やっぱりこれじゃなかった!」と感じたと思ったら、「やっぱりこれが好き!いいね」と感じたり。
本当に気まぐれ。
でも、そんなものなのです。
この気まぐれの幅が人によって大なり小なり、あるけれど、
程度の差こそあれ、気まぐれであるという事実は変わらない。
しかし現代社会の中では、なぜか、いつのまにか、
ブレないことが良しと思い込まされていて、ブレないことというのはつまり「変わらないこと、一貫していること」と理解していて、
だから、
一度決めたことは貫くべき。
気分で動くなんて不安定で良くない。
気分屋は情緒不安定だ(から良くない。恥ずかしいことだ)。
誰かに迷惑をかけないように予定どおりにすすめるべきだ。
などと思い込まされていることが多いんだよね。
だから、途中で気分や状況が変わっても一度決めたことは最後までやらなくちゃ!となるし、
無理をしてでも予定通りに物事を進めようとする。
それが便利に働くときもあるけれど、
無理してまでそのとおりに進めることは、やっぱり負担になります。
だってそもそも、人間は「気まぐれ」なものなんだもの。
女性は特に、ね。
そんな気まぐれなやつが、決めたとおり予定どおりにすべてを完遂するなんて、
難しすぎるに決まっているじゃないですか。
という事実を自覚したら、
「予定どおりにできない自分はダメだなぁ」と自己否定することもないし、
「こんなに気分屋で大丈夫なのかしら…」と不安になることもありません。
だって、そういうもの、なのだもの。
どんなに予定どおりでなくても、どんなに気分がコロコロしようとも、
物事が完璧におさまったり、結果オーライ!に着地するならオッケー!であれば、良いでしょう!?
そう考えることができたら、ものすごく楽になります。
過程がどうであれ、
どうせ完璧なところにしか着地しない。
これを信じられるようになろう(というか、信じられるもなにも、これがこの世の真実なのだけれど)。
でね。じゃあコロコロ変わる気分や予定どおりに進まない過程を経たとしても、
完璧なところに着地させるにはどうしたら良いか?というと、
「気分に従うこと」これが一番のコツです。
実は、自分の内側では「一番の方法」や「自分が行くといいほう」を知っているもの。
本当は知っている「こっちだよ」に自分をすすませるために、
「気分」という方法を使って、内側の自分が外側の自分に「こっちですよー」を教えてくれる。
だから、気分に従っていたらだいたい間違いない。大丈夫。
「自分のペース」なんてわからなくても大丈夫。わたしもわかっていません。
ただ「いまの自分」の気分や感覚だけをキャッチし続けていたらいいの。
そうしたら自分のペースやこれからの予定なんて見えなくても、
いまの積み重ねでちゃんと、しかるべきペースが生まれて、着地すべきところに着地するよう運ばれるから。ペースは後から「あぁ、こんなもんだったんだな」と振り返って確認できたらいいだけ。
いま掴むのは「いまの自分」「いまの気分」だけでいい。
でもこんなことを聞いても、
気分どおりに行動する、って難しいんだよね。予定調和が良しとされる現代社会においては特に。
しかしそこを、勇気を持ってやってみると良いですよ。
自分でやってみて、「あ。本当に気分に従って動いたら、なんだかうまくいっちゃった!」という、自分のエビデンスがとれたら、
勇気を出さないとできなかったことも、だんだん、出す勇気が少量でも、そして勇気なんて出さなくても、できるようになってくるから。
ちなみにこんなことを書いているわたしは、
気分がのらなかったのに「さすがにもうやらなくちゃ。提出しなくちゃ」と思って進めた仕事が、なぜか先方の反響がいまいち…という事件が起きました。内容は完璧な仕上がりだったはずなんだけどな。
そして、気分で動いた昨日のマーケットでは、行きも帰りもバッチリ!待つことのない完璧なタイミングでGrabがつかまり、欲しかったものが購入できて食べたかったものまで食べることができました。
こういう、自分エビデンスを自分の中で積み重ねてゆくことで、
自分の気分に対する信頼、それはつまり自分に対する信頼、が深まってゆくのです。
❤︎記事を読んでミラクル!ハッピー!が起きたら…→豊かさの循環実験
1 comment for “すべては気分のなかに”