怒りを現実に活かす

昨日は昼夜、怒りがおきることがありました。
朝の出来事と夜の出来事はそれぞれ全く別の案件。

 

そもそも怒りは単なる感情の作用だから悪いことだとは思っていません。
そしてウソはつかない、正直である、ということを常々実践して生きているので、
すごく腹が立っているのに「えー全然大丈夫。わかった」なんて言うこともわたしはありません。
とはいえ、やみくもに相手に八つ当たりするのは、
ヨガの教えのなかのahimsa(アヒムサ 傷つけないこと)に反するので、やみくもにキレるということもしません。ahimsaは相手だけに適用することではなくて、「相手にも自分にも」がルールなので、自分で自分を傷つけるようなこと(自分の感情を無きものにしたり、自分が我慢すればいいんだ…というように自分を粗末にしたり)も絶対にしません。

 

そうやって、
ahimisa(自分も相手も傷つけない)に、
satya(ウソをつかない、正直である)である切り抜けかたを探します。

 

 

昨日もahimsaにsatyaな線を探りつつ相手と話をしました。

 

話もしないで、解決しない出来事をずっと自分の中に抱えているのは、ずっと消化不良が続く状態で気持ちが悪すぎるから、ちゃんといちいち話す、消化してゆく。まずこれが大事。

そして話をした結果、具体的な解決方法は見つかって相手方も「ではここは気をつけます、守ります」と言ってくださって、こちらの言い分と希望は通ったのだけれど。

 

こういう怒りが起きたときって、
どんなに自分の望み通りの解決や結論が出たとしても、イライラやモヤモヤがまだ残ったり、後味がすっきりしないことってあるじゃない?

「出来事は具体的に解決しているのに、後味にまだ残っている怒りやモヤモヤ」

 

これをよく観察してゆくと、
「今回起きた出来事そのものに対する怒り」のほかに、
「今回の出来事を通して気づかされる、自分が自分に対して怒っている、納得していないポイント」
というのが見えてきます。

出来事そのものを解決しても、後味に残るモヤモヤって、
この後ろの部分「自分が自分に対して納得していないポイント」が反応している現れなんだよね。

 

例えば、昨日の朝の出来事って、
スタジオの隣で急に工事が始まって、その騒音が度を超していてクラスができないレベルだったのです。
クラスのご予約も埋まっているし生徒さんもいらしてしまうのに、うるさくてどうしようもない。
そもそもこれほどの工事をするなら、事前に説明や挨拶に来るのが筋でしょうよ!…で怒ったのです。
クラス前の時間ギリギリだけれどもすぐに伝えに行って、とりあえず昨日のクラス開催中は作業を止めてもらいました。そしてクラス後にあらためてご挨拶と今後の予定の説明とスケジュールのすり合わせ(とにかくこちらのクラス開催中は音の出る作業をしないこと)をしてもらいました。

こうやってみると、「出来事そのもの」はここまででもう解決しているじゃない?
こちらのクラスには影響がないようにしてもらえる、ということになったのだもの。
騒音でクラスができない困る、は解決したのに、
このあとまだモヤモヤしていたのだよね。

 

だから、それを観察し続けてみた。
そうしたら「なんだかないがしろにされているような感じ」にむかついているということに気がついた。「説明もなく工事を始めやがって」という気持ちが残っていることをきっかけに、

説明をしてもらえなかった=無視されている、大切にされなかった

と感じている、そこに憤っている自分に気がつきました。
大切にされなかった、というのは、工事の説明が事前に来なかったことをきっかけに呼び起こされた感情なだけであって、事前の説明をしてくれなかったことそのものに対して「大切にされていない」と怒っているわけではないの。だって、その工事の人に「わたしのことを大切にしてください!」なんて望んでるわけがないじゃん。そもそも知らない人だよ。誰だよ?ですよ。笑
だから事前説明がなかったというのはただのきっかけなだけなんだけど、そのきっかけをもとに自分のなかをよく探ってみたら、
あったのですよ!自分で無視していた自分のことが。

・やろう!と思っていたのに、具体的な形に仕上げていない、アイディアのまま頭になかにとどめている講座。
・作ろうと思いつつ作業中断しているwebサイトとその中身の作品。

上記2つは本当にやりたい!やろう!と思っていたくせに、行動していなかったんだよね。
それを自分自身がすごく憤っていて、「せっかく思いついたのにこんなに考えがまとまっているのにやってくれないわけ?」って、自分の内側の人である「自分さん」が外側の自分に無視されたような気になって怒っていたんだよ。
(内側の自分と外側の自分についてはひとつ前の記事にもすこし書いてます)

 

大反省。というか、自分で自分にすみません。

 

こうして、自分が怒っていた最近の自分自身の行動とポイントがよくわかったからね、
やりますよ。やるやる!あとはやるだけ。
ここでまたやらないと自分さんが「は?だから気づかせてあげたのに、まだやってくれないわけ?」ってまた怒っちゃうよ。笑 そしてそれをリマインドさせる出来事がまた起きる。そうなる前にちゃんとやるよ。

 

というわけで、作業に取りかかるハラが決まりました。
やってやりますよ!くらいの胸をはった気持ちです。なんだかすごく覚悟が決まったというか。

わたしの性格上、逆風だったり「やってやりますよ!」という状況になると、思っていた以上の力を出せることも多々あるんだよね。いまはそんな感じです。
覚悟決まって本気出す!みたいな。(こんなことばかり言ってるから、ヨガらしからぬカタギじゃない感がたまに出ちゃう。そしてそれもまた好き。笑)

昨日の怒りまくった出来事をきっかけに、自分のやること、やりたいこと、出来ることがはっきり見えたよ!
ここまでくると、モヤモヤなんてもうどこかに飛んでいってる。消化完了◎

 

 

怒りだって、大切な大切な自分のエネルギー。自分から発する貴重な自分のエネルギー。
だから決して無駄にすることなく。
自分から生まれたエネルギーは、ちゃんとチカラに変えてまいりましょうよ!

 

 

 

  1 comment for “怒りを現実に活かす

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